友達から「あなたの行動範囲に縛りつけないで」と

佐野有美
掃除機を肩にかけて掃除

──「お化け」という言葉は、子どもの純粋さゆえとはいえ、幼い心には大きな衝撃だったと思います。その後の小学校時代には、人間関係で悩むことがあったそうですね。

 

佐野さん:小学校5〜6年生のころです。小学校に入ったころからみんなが側にいてくれる環境に慣れてしまって、みんなが私と一緒にいてくれるのが当たり前、手伝ってくれるのも当たり前と思うようになっていました。周りの親切を当然のこととして受け止め、変に調子に乗っていたんです。手足がないぶん、いじめられたくないという気持ちもあり、口で勝つしかないと思っていました。気が強くなってしまって、自分が遊べない遊びをみんながすると「私が遊べる遊びをして」と言ってしまう。気づけば、自分の行動範囲に周りを縛りつけてしまって、ひとりになっていました。

 

嫌がらせなのか、階段のギリギリまで車いすを押され、落ちそうになったこともあります。でも、それも自分が招いたことだと思っています。私が、周りを追い詰めていたんです。

 

── 自分が傲慢だった。そう気づいたきっかけはなんだったのでしょう?

 

佐野さん:友達から「もうついていけない」と言われたんです。「なんでも有美に従ってる感じがする。私たちを有美の行動範囲に縛りつけないで」って。そのときは「なんで急にそんなこと言うの?」ってショックでした。

 

でも、孤立して初めて気づいたんです。消しゴムが落ちたとき拾えなくて、「今までどうしてたっけ」と思ったら、いつも友達が何も言わず拾ってくれていました。どこかに行くときも、抱っこして連れて行ってくれていた。そうした優しさを当たり前に感じていた自分が恥ずかしかった。「なんで私、こんなに傲慢になってしまったんだろう」と後悔ばかりが残りました。

 

── お母さんは、佐野さんの孤立に気づいていたそうですね。あえて介入しなかったのは、どんな思いからだったのでしょう?

 

佐野さん:もともと学校には母がつき添う条件で入学していたんです。だから、母は私が孤立していることにも気づいていたみたい。でも、過保護になりすぎてはいけない。いちいち口出ししていたら、私が私として見てもらえなくなる…。そう思ってあえて見守っていたそうです。

 

私自身も、母に見られていることはわかっていました。だから母の前では、できるだけ明るく振る舞っていたんです。自分のわがままが招いたことだと感じていたし、心配をかけたくなかった。でも母は、私が強がっていることもわかっていたみたいです。何も言わずに見守りながら、陰でずっと心を痛めていたと聞きました。

 

実は「ありがとうって、ちゃんとみんなに言いなさいよ」って、昔からよく母には言われていました。だけど家族に言われてわかってはいても反発しちゃう。結局、友達に直接言われないと本当に反省できなかったんですね。