「今までごめんね」。両腕と左足は短く、右足は太腿までの状態で生まれた、先天性四肢欠損症の佐野有美さん。体に障がいを抱えながら保育園、小学校と進学していきますが、あるとき友達から距離を置かれてしまって── 。
想像を超える障害に母は衝撃を受けて

── まずは、佐野さんの抱える障害について教えてください。
佐野さん:先天性四肢欠損症といって、生まれつき手足に欠損がある、まれな障害です。両腕がなく、左右の足の長さが違って、左足は短いんですけど、3本の指があります。右足は膝から下がなくて、太ももの先に1本の指がある感じです。母いわく、当初は「1本ならいらないんじゃないか」と先生に相談したものの、「もしかしたら何かに使えるかもしれない」と言われて残したそうです。実際、いまでは字を書くときに紙を押さえるのにその1本の指を使っています。
左足に関しては、母は「左足の指が3本しかない」ではなく「3本もある」と考え方を変えてくれた。その気持ちの切り替えがあって、特訓が始まりました。いまでは箸で食事もできますし、2017年に結婚して子どもを出産していますが、子育ても基本的に足で行っています。
──「3本しかない」ではなく「3本もある」という考えにたどり着くまでには、かなりの葛藤があったのではないでしょうか。生まれた当初、ご家族はどんなふうに受け止めたのでしょう。
佐野さん:母が通っていた産婦人科には今のようなエコーがなく、生まれるまで障害はわからなかったそうです。帝王切開で出産後、母は眠っていて、先に障害を知ったのは父でした。「母がショックを受けるかも」と考え、しばらく面会を控えさせたと聞いています。母は理由がわからず、「なぜ会わせてくれないの」と不安でたまらなかったといいます。
そして初めて私を見たとき、想像を超える障害に衝撃を受け、自分を責めて、命を絶とうと考えるほど理解に追い詰められたそうです。父は母の心身を案じ、話し合いの末、私を1年間、乳児院に預けることを決めました。
その後、面会に来た母は、私がニコニコ笑っているのを見て、「この子は私たちを選んで生まれてきてくれたんじゃないか。欠けていたのは子どもの手足ではなく、自分たちの勇気だったのかもしれない」と感じたといいます。そこから家族として迎え入れる覚悟が生まれたそうです。
── ご自身の体が「周りと違う」と感じたのは、どんなきっかけからでしたか。
佐野さん:乳児園を出た後、隣の市にある肢体不自由施設に入り、その後、年長さんの1年間だけ近くの保育園に入ったのですが、そのときですね。それまでの乳児院や肢体不自由施設では障害のある子たちと過ごしていたので違和感はなかったのですが、保育園では障害のある子が誰もいませんでした。子どもって純粋だから、思ったことをそのまま口にするんですよね。「なんで手足がないの?」「怖い、お化けがきた!」。そう言われたとき、初めて「自分はみんなと違うんだ」と気づいてすごくショックで泣きました。「何?私ってかわいそうなの?」って。
すると母が「ママのお腹の中に手足忘れちゃったのかな」と言ってくれたんです。周りの子どもたちにも、同じように説明してくれました。おかげで、受け入れられ、気づいたら普通に遊べるようになっていました。