行動してみて結果が違えば、また次に進めばいい

── 営業はいかがでしたか。

 

藤田さん:
最初は右も左もわからず、お客様もいなかったので大変でした。そこから少しずつ関係づくりをしていきました。ビジネスで成功した方々にもお会いできたので、刺激がありました。ただ、その後は、より長期的にお客様との関係を築いていくのにふさわしい欧州系の銀行に移りました。

 

── 仕事でさまざまな経験を積まれてきたのですね。

 

藤田さん:
自分は動物的に動いていると思います。好きで仕事をしているので、何か違和感を感じるとその原因を突き詰め、今のままでは解決できないと思えば場所を変えてきました。

 

── 後悔されることはないですか。

 

藤田さん
後悔したことは一度もないです。後悔しないと決めているんですよ。

 

人生の選択をするときに、まず何の軸で選ぶかを決めるんです。優先順位をひとつに絞れれば、後悔はなくなります。もしやってみて違ったら、また次にいけばいいんですから。

法科大学院入学も半年で中退…そこから新たな道へ

── ただその後、仕事を離れて早稲田大学法科大学院に入学されます。どんな動機だったのですか?

 

藤田さん:
プライベートバンクはやり尽くした気がして。弁護士として、相続のことなどをお客様に提供できれば、これまでの知見も活かせていいかなと思ったんです。

 

でも入学半年で離婚を経験。家庭の事情もあり、辞めることに。介護費用が必要になったので、もう1回稼ぐために外資系銀行の営業をサポートする部門に入りました。

 

── そこから、山口県に移住されたのはどうしてでしょう。

 

藤田さん:
外資系銀行である程度、親の介護費用などの見通しがたったとき、やはり、弁護士を志したときのように、社会に役立つことがしたいという気持ちが強くなったんです。

 

法科大学院に通っているなかで、社会には歴然とした格差があり、それをなんとかしなくてはいけないという気持ちにかられました。

 

弁護士にはなれずとも、社会的な活動がしたいと思っていたとき、知人から山口県の地域創生に関わらないかと声をかけられました。そこで、地域の特産品である筍をブランド化して地域を活性化しようと動いたり、子ども食堂の運営ボランティアもしました。

 

山口に移住して1年目は、海が近くて、山があって、みんな優しくて、楽しくて、という生活でした。でも2年目は、すごくツラくなったこともあります。なぜかというと、みなさんが事業に賛成してくださっても、物事が進むスピードがとてもゆっくりだったり、地元の方々が新しい提案に腹落ちしておられなくて、私が空回りしたり、ということがありました。

 

「新しく始めよう」といっても簡単には動けないこれまでの経緯がありますよね。皆さんの都合があります。でも日本人特有の優しさがあって、はっきり反論もされないから、どうしたらいいかわからなくて、という時期でした。アメリカに馴染んだ自分の文化と日本の文化の違いを感じました。

 

── そして、東京に戻ってきて、一般財団法人社会変革推進財団(SIIF)に入られて、フィランソロピー・アドバイザーとして活動されることになったんですね。

 

藤田さん:
地域活性化の取り組みへの限界を感じましたが、ソーシャルビジネスへの関心は揺るぎなくあったので、社会的活動をしている組織に属そうと思ったんです。

 

富裕層の方が自分のお金を運用、相続するとき、ひとつの方法として、社会のために使いたいという方もいて、そのような方々の寄付先や投資先を一緒に考えていく仕事です。たとえば子どもの支援がしたい方には、子どもに関する社会課題に取り組む寄付先を調べてご紹介するなどです。

 

今の環境は金融出身者が少ないので、共通感覚は異なるところがありますが、その分、自分がいる意味があると感じます。社会に良いことを実現しようとする方は社会学を学んでこられた方が多く、私のように銀行系のキャリアの者が入るのは良いミックスになると思っています。

 

今、自分がやりたいことが明確で、経験が詰めていて、とてもラッキーで楽しいですね。

 

笑顔で仕事について語る藤田さん

── これから先どうなっていくでしょうか。

 

藤田さん:
今やっている仕事はとても意味があることだと思っているので、日本でこの活動が増えるように70歳ぐらいまでは仕事したいと思っています。