自信がない20代の女の子がアメリカで生きるのがラクになった

── その後、ロサンゼルスにも赴任されます。

 

藤田さん:
はい。入社して1年が過ぎた頃、ロサンゼルスのポストが空いたので行ってくれと言われました。当時は現地の治安が悪く、誰も行く人がいないから、ということが理由でした。

 

親は出身地の北海道を就職で出たときに大反対したので、今回も心配されるかと思いましたが、特に意見はなく。津軽海峡を超えたらみんな同じだと思っていたようです。

 

── アメリカでの暮らしはいかがでしたか。

 

藤田さん:
中国系、ラテン系、いろいな人がいて、のびのびしていました。仕事熱心な人、働きながら会計士の資格取得を目指す人もいましたが、定時に帰宅する人もいて、職場が自分の世界のすべてじゃないと知りました。

 

日本では会社がファミリーのようで、自分より組織、仲間を優先にしている面がありますが、アメリカは違うんですね。

 

ランチタイムに電話が鳴ると私は対応していたけれど、同僚は「ランチなので、後でかけます」と言っていて。最初は「無責任では」と思ったけれど、そうではなくて、プライベートと仕事の仕切りがしっかりしているんだとわかりました。

 

アメリカでは、経済や政治を良くするには一人ひとりが意見を持って発信することが大事で。物事を自分で考え、「私はこれが好きだから、これをする。あなたは?」という言い方を今では私もするようになりましたが、その原型はアメリカで培われたんだと思います。

 

生きるのもラクになりましたし、とっても自信のない20代の女の子だったけれど、違う世界を見て、自分の意見を持つよう意識するようになって、いろんなものが怖くなくなったんです。

 

プライベートバンカー時代の藤田さん(右)

── アメリカでの学びを経て、帰国後は国内の為替トレーダーになられたんですね。

 

藤田さん:
異動先のディーリングルームでは「間違いがなく、覚えが早い」と評価していただき、自分でも上手くやれたと思っていました。

 

でも、急に営業職への異動の話が来たんです。未知の世界でしたが、「29歳で断るって悔しいな、チャレンジしてみよう」と思い、受けることにしました。