富裕層と社会課題の解決を目指す社会起業家をつなぐフィランソロピー・アドバイザーとして活躍する藤田淑子さん(55)。もともと外資系銀行で富裕層の資産運用にアドバイスするプライベートバンキングの仕事などに20年以上携わってきましたが、40代で大学院入学や地方創生活動など、新たな道へ進み始めます。これまでの人生経験をもとに、変化を恐れず行動し続けるその原動力について伺いました。
学歴・性別・年齢は関係ない外資系企業で揉まれて
── 小樽商科大学を卒業後、初めは北海道拓殖銀行に入られたそうですね。どうして銀行を選ばれたのですか?
藤田さん:
お金って大事なものですよね。でも、社会のなかでお金がどう動いているのか、当時の私はまったくわからなくて。「知りたい」と思ったんです。
一般職として入社したのですが、入ってみるとやれる仕事に限りがありました。支店のほうが、私が関われる仕事が増やせるように掛け合ってくださいましたが無理で。1年9か月で退社しました。その後、マーケティング会社を経て、米系のシティバンクに入社します。
── 英語が得意でいらしたのでしょうか。
藤田さん:
いいえ、まったくしゃべれなかったです。前職のマーケティングを担当予定でしたし、「日本で働くから大丈夫」と思ったんです。
── 入ってみていかがでしたか。
藤田さん:
文化が違いましたね。それまで古風に育てられていて、目上の方や男性を立てて仕事をしてきましたが、外資系は「今、自分が与えられている仕事にどれだけプロフェッショナルに結果を出していくか」という発想なんですね。
私は社会人3年目ぐらいで、人のサポートが得意でしたが、自分が一歩引いていることが評価されなくて、「あなたならどう考えるんだ」と言われました。
今となっては自分がその文化になじんでいますが、最初は苦労しました。
学歴は関係ない、男女の差も関係ない、年齢も関係ないという環境で、「この人はどういうパフォーマンスを出して、どう組織にとってプラスになるか」という点だけを見るので、結果的には素晴らしい環境だったと思います。