「今なら行ける」と迷いなく福岡行きを決断
── いわゆるワンオペ、ですよね。
中澤さん:当時はそんな言葉もなかったんですけど、今で言うそういう状態でした。それに対しては何の苦痛もなかったんです。
でも、当時は今みたいに子どもを仕事場に連れて行ける環境でもなくて。今は理解ある環境になったなとは思うんですけど、10年前はそこまで整っていませんでした。そのうち「私、東京じゃなくてもいいのかな…」と考えるようになって。
そこで夫に「まだ福岡に行きたい気持ちあるかな?」と確認したら、「実はずっと行きたいと思ってるけど、無理に家族を連れて行こうとまでは思ってない」と言ったんです。
「私、今なら行けるけど」って言ったら「ええ!?」と夫は驚いていましたけれど、「じゃあ行こう」ということになりました。
仕事はもちろん大事で、続けていきたい気持ちもあったんですが、生まれてすぐの子どもを目の前に「この子を置いてまで、私は仕事を優先する意味があるのかな」と思ったんです。
── 「仕事100%」だった中澤さんを、そこまで変えたのは何だったんでしょうか。
中澤さん:正直、私もここまで気持ちが娘に向かうとは思ってなかったんです。ただ、仕事上、私の代わりはいくらでもいらっしゃると思うんですけど、この子を育てられるのは自分と夫しかいないと思って。私、6歳のときに、父親を亡くしてるんですね。
── そうだったんですね。
中澤さん:はい。母がひとりで、私と妹を育ててくれたんですが、母は仕事で家にいないことが多く、寂しかった記憶が今も残っていて。そういう思いを、絶対に自分の子どもにはさせたくなくて。子どもが自分を必要としているときには、絶対そばにいたいって思いを強く持っていたんです。
仕事もファンの人もすごく大切で、歌もステージも大好き。だけど、私が今いちばんしたいのは、子どもと一緒にいることだと自分のなかではっきりしていたんです。家族で一緒に過ごせることをいちばんに考えたら、東京にこだわらず、夫の希望する福岡に移ってもいいんじゃないかな、と思いました。
── 迷いなく決断できたんでしょうか。誰かに相談したりしました?
中澤さん:迷いはなかったです。私、あまり普段から人に相談しないんですよね。白か黒か、なんです。
もちろん迷うときもありますし、間違えることもあるんですけど、誰かに相談しよう、というのは昔からまったくない。
ただ、結婚してからは、自分で答えが出せないときは、唯一、夫には相談できるようになったかな、と思います。
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PROFILE 中澤裕子さん
1998年にモーニング娘。としてデビューし、初代リーダーを務める。2001年にモーニング娘。を卒業。歌手活動のほか、ドラマや舞台で女優としても活躍。2014年に夫や子どもと共に福岡県に移住し、タレントとして活動。TNCテレビ西日本「ももち浜ストア」にレギュラー出演。
取材・文/市岡ひかり 写真提供/中澤裕子