戦前(第二次世界大戦以前)の駅舎と聞いて、どのようなイメージを持たれるでしょうか。おそらく、大半の人は純和風の木造駅舎を思い浮かべるはず。確かに、そのような駅が多かったのは事実ですが、中にはステンドグラスを用いるようなモダンな駅もありました。今回は戦前に建てられた個性豊かな駅舎を見ていきます。
実は超モダンな駅舎だった、東京駅
日本を代表する駅と言われると東京駅を思い浮かべることでしょう。東海道新幹線、東北新幹線のみならず、東海道本線、中央本線の起点駅でもあります。実は国の重要文化財に指定されている東京駅丸の内駅舎は戦前に設計されたものをベースにしています。東京駅丸の内駅舎は1914年に建てられました。設計したのは建築家、辰野金吾。東京駅の設計にあたり、イギリスの建築物を参考にし、皇居と向かい合わせになるように配置しました。
残念ながら、第二次世界大戦の空襲により駅舎は焼失。戦後、元の駅舎と同じように建てられましたが、高さは3階から2階に。ランドマークであったドーム状の屋根も姿を消しました。開業当初の東京駅が復原されたのは2012年のこと。元の建物に3階が追加され、ドーム状の屋根も復原されました。復原では戦前のデザインに戻すだけでなく、耐震性も増しています。
東京駅丸の内駅舎のドームは本当にモダンです。夜間に訪れると美しくライトアップされ、まるでヨーロッパのターミナル駅に迷いこんだよう。一般的に想像される”戦前”とは異なる雰囲気です。
また、5番線・6番線ホームには開業当初の柱が保存されています。ギリシャ宮殿みたいな装飾から当時の東京駅の設計に対する情熱が伝わってきます。
小さな駅舎にもステンドグラスが、南海電車・諏訪ノ森駅
戦前のモダン駅舎はターミナル駅だけではありません。一般の駅でもモダンな駅舎が見られました。その代表格が南海電車、旧諏訪ノ森駅舎です。旧諏訪ノ森駅舎が建てられたのは今から100年前の1919年のこと。小さな駅舎ながら、5枚のステンドグラスを配した設計は大いに注目されました。隣駅の浜寺公園駅と共に国の有形文化財に登録されています。
長らく地元の顔として機能してきましたが、南海本線の高架工事に伴い駅としての役割を終えることに。2019年5月25日に仮駅舎の使用が開始されました。「もう旧駅舎が見られないのか…」と思ったあなた!ご安心を!旧駅舎は移設された上で地域のコミュニティセンターとして活用されることが決まっています。なお、隣駅の浜寺公園旧駅舎も同様の運命に。戦前に設計された駅舎は駅としての役割を終えると解体されることがほとんど。諏訪ノ森駅旧駅舎のような復活劇が主流になればいいのに…と思うのは筆者個人の意見です。
南海には両駅以外にも現役で頑張っている魅力的な駅が存在します。それが、同じく1919年に建設された高師浜線の高師浜駅舎です。こちらも洋風の駅舎で、ステンドグラスがはめ込まれています。一時期、高架化工事に伴い解体も検討されましたが、今日も現役の駅舎として頑張っています。
堂々とした純和風の駅舎がたまらない、旧大社駅
今までは戦前に建てられたモダンな駅舎を紹介しました。「戦前に建てられた純和風の駅舎を見たい!」という人は島根県にある旧大社駅駅舎を訪れてみましょう。旧大社駅駅舎はJR大社線(出雲市駅~大社駅)の廃線まで駅舎として機能していました。
JR大社線は出雲大社への参拝路線として利用され、全盛期には大阪からの寝台急行列車も乗り入れました。しかし、車やバスを利用する参拝客が急増。1990年に惜しまれつつ、約80年の歴史に幕を閉じました。列車が乗り入れなくなった現在は観光施設として活用され、2009年には国の近代化産業遺産として登録されています。
旧大社駅舎が建設されたのは1924年のこと。出雲大社の玄関口として堂々した純和風の駅舎が求められました。駅舎に入ると天井が高く、モダンな提灯型のシャンデリアが備えつけられています。
筆者は今から約20年前、小学生のときに旧大社駅駅舎を見学しました。堂々とした駅舎はもちろんのこと、驚いたのは天井の高さ。天井があまりにも高いせいか、風通しがよかったのを覚えています。長いホームも現役そのままの姿で保存されており、今にも列車が入線しそうな雰囲気。出雲大社からもバスと徒歩でアクセスできるので、参拝の合間に訪れてはいかがでしょうか。 このように全国には戦前に建てられた駅舎がしぶとく残っています。解体される前に、早めの見学をおすすめします!
文・撮影/新田浩之