「何百回言えば覚えるの?」。携帯の使い方がわからず孫に怒られ、公共料金の払い方すら知らなかった自分に気づく。かつて夫・梅宮辰夫さんにすべてを委ねてきたクラウディアさんを待っていたのは、あまりに高い「自立の壁」でした。孤独ゆえの挫折、娘・アンナさんとの衝突。夫の死から7年、80代になった彼女が「親子でも甘えない」と決意するまでの試行錯誤を明かします。

終活の代わりに夫・辰夫さんが遺したもの

── 2019年12月、夫の梅宮辰夫さんが81歳で旅立たれました。晩年は入退院を繰り返されていましたが、もしものときに備えて、いわゆる「終活」のようなことは話し合われていたのでしょうか。

 

クラウディアさん:「万が一のために大事なことを書き残しておいてね」とは伝えていたのですが、結局、終活らしき準備はなにもしないまま逝ってしまいましたね。もともとなんでも書きとめる習慣がある人でしたが、亡くなる直前まで熱心に書いていたのは、終活のノートではなく、料理の「レシピノート」でした。

 

── 書き残したのが「エンディングノート」ではなく「レシピノート」だったというのが、美食家で料理もプロ級だった辰夫さんらしいエピソードですね。

 

クラウディアさん:長年書きためていたレシピノートは20冊以上にもなりました。料理本や雑誌を見て気に入ったレシピがあると、ページを切り取って丁寧にノートに貼るんです。几帳面な人でしたから、料理本は必ず2冊買って、1冊は切り取り用、もう1冊は綺麗なまま保存していました。ただ、本にあるレシピ通りには作らず、それを自分好みにアレンジして作るのが好きでしたね。

 

梅宮クラウディア 梅宮アンナ
美食家で料理の腕もプロ級だった辰夫さん。レシピノートはアンナさんの手によって出版された(写真/佐藤靖彦)

── 辰夫さんが健在だったころ、クラウディアさんは家のことをすべて夫に任せていたと伺いました。亡くなられてから、暮らしはどのように変わりましたか。

 

クラウディアさん:主人がいなくなってからは、寂しくて毎日泣いてばかりいました。それまで家のことはすべて頼りきりで、恥ずかしながら公共料金の振込みすらしたことがなかったんです。ガス代や水道代の支払い用紙を見ても、どこでどう支払えればいいのか分からない。途方に暮れました。

 

私は日本語が完璧ではなく、漢字の読み書きが苦手なので、相続の手続きなども娘のアンナに任せきり。頼る相手が主人からアンナに変わり、まさに「おんぶにだっこ」の状態でした。娘も自分の生活があるなかで大変だったと思います。振り返ると、主人は家のことを何でも先回りしてやってくれていました。そのありがたさをいなくなってから初めて実感しました。