おしどり夫婦47年の幸せな最期

── そんななか、辰夫さんは生涯で6回ものがん手術を経験されました。闘病生活をどのように支えてこられたのでしょう。

 

クラウディアさん:私は楽天的で「きっと治るわ」と考えるタイプ。本人もふだんと変わりなく生活していたので、深刻には受け止めていませんでした。実は、最初にがんになった30代半ばで「余命3か月」と宣告されたんです。でも、本人はいたって元気。本当はいけないのですが、入院中に病室を抜け出して自宅に帰り、翌朝の回診に間に合うように戻っていたほどです。

 

幾度もがんにかかりながら、弱音を吐くこともなく、81歳で旅立つまで長い年月を一緒に過ごしてくれました。能天気な私と他愛もないおしゃべりをしていたのがいいお薬になっていたのかもしれません(笑)。

 

── 旅立たれたのは2019年の12月でした。最期の時間はどのように過ごされたのでしょう。

 

クラウディアさん:晩年は神奈川県の真鶴の家で過ごしていました。食欲は落ちていましたが、生活自体はふだんとそれほど変わらない感じでした。主人はいつもリビングのソファで横になってテレビを観ていて、そこが一番のお気に入りの場所だったんです。

 

その日も、いつもと変わらない夜でした。リビングにいる主人に、「寝室で寝たら?」と声をかけても、「いいのいいの、ここで」と言うので、私は先に休んだんです。明け方4時ごろ、ふと目が覚めてリビングに行くと、主人はまだソファで横になっていて。声をかけたら、もう息がありませんでした。体はまだ温かくて、ただ眠っているように穏やかな顔をしていましたね。

 

── 看取りの瞬間に立ち会えなかったことに対して、ふつうであれば「なぜそばにいなかったのか」と、後悔の念に駆られる方も少なくありません。クラウディアさんにもそうしたお気持ちはありましたか?

 

クラウディアさん:不思議とそういう気持ちはありませんでしたね。家が大好きな人でしたから、いちばん好きな場所で最期を迎えられたのは幸せだったのではないかと思います。主人は、弱った姿を人に見せるのを何より嫌う人でした。だから、家族がそばにいて泣いてしまうのを避けるために、あえて誰もいない時間を選んで静かに旅立ったのではないか…。

 

それが、彼が遺してくれた最期のやさしさだったのかもしれません。47年の結婚生活を振り返っても、楽しいことしか思い出せないくらい、ずっと幸せでした。生まれ変わっても、絶対にまた彼と一緒になりたいですね。

 

 

厚生労働省の調査では、「最期は自宅で」と望む人が約4割にのぼる一方、実際に叶う人はわずか1割強というのが現実です。 「最期まで手を握る」ことだけが理想とされがちですが、梅宮さんのように、いちばん好きな場所でふと一人で旅立つ。これも在宅死における一つの「穏やかな終止符」と言えます。 同時に、こうした予期せぬ瞬間は、家族に「あの時、隣にいれば」という割り切れない思いを抱かせることもあります。クラウディアさんの「幸せだった」という言葉は、そんな看取りの葛藤さえも愛で包み込んだ、51年目の答えなのかもしれません。

 

取材・文:西尾英子 撮影:伊藤智美  写真提供:週刊女性