「『寝室で寝たら?』と声をかけた私に、主人はいつものように『いいのいいの、ここで』と答えました。47年連れ添った夫との最期の会話が、そんな何気ない日常のやりとりになるとは、思いもしませんでした」。明け方4時、リビングのソファで一人、静かに息を引き取っていた夫。最期の瞬間、愛する妻を隣に置かず、彼は何を思って一人で旅立ったのか──。芸能界随一の「おしどり夫婦」と呼ばれたふたりがたどり着いた、静かすぎる別れの風景。昭和の大スターが最期まで貫き通した「美学」と、現代社会が直面する「在宅での看取り」のリアルを、妻・クラウディアさんが明かします。
デートは大衆的な居酒屋「それが心地よくて」
── 2019年に慢性腎不全のため、81歳で旅立った俳優の梅宮辰夫さんの妻、クラウディアさん。芸能界屈指のおしどり夫婦として知られたおふたりでしたが、その出会いはどのようなものだったのでしょうか。
クラウディアさん:主人と出会ったのは私が24歳のころでした。当時、モデルをしながら喫茶店でアルバイトをしていたのですが、ある日、店に来たハンサムな男性から、「クラブで働きませんか?」と声をかけられたんです。実は主人のいとこで有名なスカウトマンでした。
でも、私はお酒を飲まないし、当時流行っていたディスコにも行ったことがない。夜の世界なんてまったく知らなかったので「とてもムリです」と断ったのですが、「座っているだけでいいから」と1か月間頼み込まれ、根負けしました。
主人が店に来たのは、私が入店して3日目のこと。店中のホステスさんが一斉に彼の周りに集まっていたけれど、私は日本の映画をあまり観たことがなく、有名な俳優とはまったく知らなくて。店が終わった後、同僚に誘われて食事に行くと、そこに主人がいたんです。あとから聞いたところでは、私のことを誘うように頼んでいたみたい。「紳士的でやさしい人」というのが第一印象でした。

── 辰夫さんのひとめ惚れだったと聞きました。その後、どんなふうにふたりの距離は縮まっていったのでしょう。
クラウディアさん:毎日のように店に来て「この後、食事に」と誘われるんですが、私は寄り道せずに帰りたいタイプ。最初は断ってばかりいたのですが、何度も熱心に誘われて、ふたりで会うようになりました。デートといえば、大衆的な焼き肉屋さんや居酒屋さんばかり。有名俳優なので、高級レストランなどを想像していたのですが、それとは少し違っていて、それが気楽で心地よかったんです。
週末は彼が趣味だった釣りに誘われることも多く、店が終わった後に迎えにきてくれて、そのまま車で伊豆まで向かい、明け方に釣り仲間と船に乗る。私は岩の上に寝袋を広げて、眠さに耐えながらじっと待っているだけなのですが、不思議とそれが楽しかったんです。地方ロケに行くときも、一緒に連れて行ってくれましたね。
── 銀幕スターとのデートといえば華やかな場面を想像しますが、意外なほど素朴だったのですね。その後、1972年に結婚されますが、「何もしなくていい。床の間に飾っておきたい」というプロポーズの言葉が話題になりました。「俺の味噌汁を作ってほしい」といった亭主関白なプロポーズが主流だった昭和の時代にしては、かなり珍しい言葉に感じます。実際の結婚生活はいかがでしたか。
クラウディアさん:その言葉の通り、結婚してから家のことをすべてやってくれたので、私は本当に何もしませんでした(笑)。主人はひと時もじっとしていないほどよく動くので、私の出番があまりないんです。
とくに食へのこだわりは相当で、買い出しから調理、片づけまで完璧。「座って一緒に食べましょうよ」と言っても「好きでやってるんだからいいんだよ。熱いうちに食べて」と、どんどん運んでくるんですが、私は猫舌なので、熱々の料理を前に、なかなか手がつけられなくて(笑)。
── クラウディアさんがキッチンに立つことも?
クラウディアさん:じつは12年間、料理学校に通っていたんですが、習う料理が上品すぎて、お酒に合うおつまみ系が好きな主人の好みと合わなくて。せっかく私が作っても勝手に調味料をかけて、味を変えちゃう。「こんなんだったら私が作る必要ないわね」と思って、作るのをやめました(笑)。