「自分もこうなるんだ」施設で抱いた未来への絶望

── 児童養護施設の暮らしで印象に残っていることはありますか?

 

西坂さん:僕たちがいた相馬市の施設では、壮絶な虐待を経験した子たちが何人もいて、その話が衝撃的でした。ある子は、親が殴る蹴るは当たり前で、自分の排せつ物を親に食べさせられたというんです。当時は子どもだったので「きたねぇ!」なんて言っていましたが、冷静に考えれば決して笑えない状況でした。

 

20年以上前の当時は施設があった田舎の進学率が極端に低く、中卒で退所する子がほとんど。でも退所後の生活が続けられず仕事を辞めて消息不明になるのはよくあることで、そんな先輩を見て「どうなっちゃうんだろう。ろくな人生にならないのかな」と不安に思っていました。退所後、何か問題を起こしたり、事件を起こしたりしたら、施設に警察とかから電話が来てやっと消息がわかる、みたいなこともあって。

 

施設ではいろいろな先輩たちをみていて、小学6年生ながら「施設を出たら自分もこうなるんだ」と絶望したのをよく覚えています。小さいころから、ウルトラマンやゴジラの特撮映画を見るのが大好きで、将来は映画制作をしたい夢はありましたが、 「そんなこと言ってる場合じゃないぞ」と、希望を持つことは諦めかけていました。

 

僕が退所してしばらく経ってから、職員さんに会う機会があったとき、施設の先輩だった方が道端で亡くなっていたという話を聞いたときはすごくショックで。「やっぱり最悪の展開もあるんだ…」と戦慄しました。

 

西坂來人
幼少期からの夢を叶え、特撮テレビドラマ『ウルトラマンメビウス』の特撮にスタッフとして参加した西坂さん(最後列の左端)

── 西坂さんの中学進学と同時に、お母さんがきょうだいを迎えに行き、母子家庭での生活がスタートします。西坂さんは、幼少期からの夢すら諦めそうになった施設時代の絶望をはねのけ、高校卒業後は奨学金を活用して、映像制作の専門学校に進学。在学中に監督した作品が世の中で高い評価を受けるなどさまざまな機会を経て、映像と絵本の作家としてご活躍されるように。本当にすごい!のひと言です。

 

西坂さん:やりたい仕事ができて充実していましたが、20代や30代のころは、激しい孤独感や劣等感を抱えていました。ひとり暮らしのアパートに帰ると、ひざからガクッと崩れ落ちるような、大きな寂しさ、むなしさを感じていました。振り返ると、きっと10代から抱えていた、生きづらさみたいなものかもしれません。自己肯定感が低いというか。何をやっても「ああ、俺はやっぱりダメだ」って思っちゃう。

 

唯一、自分を保てたのが得意な映像やイラストの制作だったから、それをきっかけに人とつながったり、仕事にできたことで、ポジティブにはなれたんですけど。でも、ひとりきりになるとネガティブの感情に襲われそうになったり、特に20代のころは二面性があった気がします。