過呼吸の母の手を握り、暗闇で相槌を打つ。自覚なき「情緒的ケア」の沼
── 突然そんなことが起きたら衝撃ですし、理由がわからないのはさらにつらいですね。
坂本さん:やっぱり、すごくショックでしたね。その事件の後に、母は何を考えてるんだろう、僕には何ができるんだろうと、ひたすら考えるようになりました。
── それから、坂本さんがひとりで「母のケア」を担うようになったのでしょうか。
坂本さん:はい。母は前より感情の波が激しくなったので、刺激しないよう、常にアンテナを張っていました。母は週に何度もパニックを起こし過呼吸になるのですが、そんなときは母の手を握り、目を見て一緒に深呼吸をする。落ち着くまでそばにいる。母がお金の不安をポロッと話し始めれば、リビングでずっと相槌を打ち続けました。
まだ中学生の僕が母のためにできることは、寄り添って話を聞くことだと思っていました。でも僕もいつも優しくできたわけじゃなくて、イラッとして聞けないときもありました。そういうときは自分の部屋にこもっていましたが、どうしても母のことが心配で気になってしまって。
それまで母から大事に育ててもらっていたので、母への恩返しとしてできる限りのことをしてあげようとしていました。当時は自分を犠牲にしてでも家族のケアをすることは当然だと思い込んでいたんですね。大人になってから、それは間違っていると気づきましたが。自覚はありませんでしたが今でいうヤングケアラーに当てはまっていて、僕のしていたことは「情緒的ケア」に分類されるようです。

── それは大変でしたね…。お姉さんはどういう反応だったのでしょうか。
坂本さん:当時、高校生だった姉は具合の悪い母に向き合うことができず、距離を置いていました。僕は「お義父さんもお姉ちゃんも、余計なことをしてお母さんを不安定にさせるなよ」と憤りを感じていました。明るかった母がいなくなった寂しさを抱えながらも、「僕がお母さんを支える番だ」という意識が芽生え、共倒れしないためのスイッチが入ったんです。