「ヨンハのお墓へ行って韓国語でお礼が言いたい」
── それはショックでしたよね…。
花岡さん:その日も朝までヨンハの歌声を聞いてなんとか生きていられたと思い、次男のお弁当を作ろうと準備を始めたところ、テレビからパク・ヨンハがみずから命を絶ったという報道が流れてきました。
最初は信じられず現実だと受け止めるのに時間がかかりましたが、ファンの方がすぐに韓国へ飛んで葬儀に参列しているのを見て、本当なんだ…と実感していきました。その日どう過ごしていたかあまり覚えていないのですが、大学から帰って来た長男が「お母さんが死んでるんじゃないかと思って心配した」と言っていたのは覚えています。
── 生きる支えだった方がいなくなってしまったんですもんね。
花岡さん:とにかく悲しかったです。少しでも情報が欲しくて、インターネットでいろいろと調べていたのですが、日本のニュースになった部分以外は韓国語でわからないし、彼の義理のお兄さんが記者会見したけれど聞き取れないし、もどかしい気持ちになりました。
そのうち、私はヨンハの存在にたくさん助けられたけれど、私からは何も返せてないと申し訳ない気持ちになりました。もちろん、私は勝手に助けられていただけだし、ただのファンである私が実際に彼に何かできたわけではないんですけど、彼の存在がなかったら生きていられたかどうかわからないくらいなのに、という感情が大きくて。それで「ヨンハのお墓に行って、韓国語でお礼が言いたい。生きる力になってくれた感謝を伝えたい」と思うようになったんです。
その思いは募るばかりで…1年後、韓国語教室に通い始めました。44歳のときです。
── 習い始めてみてどうでしたか?
花岡さん:韓国語は文字を覚えるのも発音するのも難しく。最初は全然できなくて、何度も挫折しそうになりました。通っていた韓国語教室の先生がかなり厳しく、習い始めた当初は少しつらかったのですが、いま振り返るとできるまで手を抜かずに指導されたことで、語学の基礎がしっかりできたんだと思います。ふわっとしたやさしい先生だったら逆に続いてなかったかもしれません。
韓国語の勉強中はつらい現実を忘れることができた

── 花岡さんの著書『「やってみたい」と思った今がそのとき』のなかで、少しずつの「背伸び」の繰り返しが現在につながっているという振り返りが印象的でした。
花岡さん:ありがとうございます。韓国語を習い始めて3年目に、教室の先生に勧められて韓国語の弁論大会に出たことで、習得に弾みがついたのかもしれません。当時はまだ文法も単語もおぼつかないのに出られるのかな?と思いましたが、「振られたものはまずやってみる」という性格なので、挑戦することにしました。
私が参加したのは、在日本大韓民国民団埼玉県地方本部主催の埼玉県韓国語弁論大会でした。課題は4分間のスピーチ。まず日本語で原稿を考え、辞書で似たような例文を探しまくって韓国語にしていきました。原稿を見ると減点されるため、内容を覚えなくてはいけないのですが、韓国語の発音がとにかく難しくて。先生から突然電話がかかってきて「いま言ってみて」と言われ、何度も練習するなど猛特訓を受けました。
弁論大会当日、私の出番は出場者の中で最後。緊張しましたが、スピーチが始まると不思議と何かが降ってきたような感じがして
── 韓国語を学びながら、うつ病の症状や精神的な落ち込みは続いていたのですか?
花岡さん:うつ病の症状がひどいときは、本や新聞などが読めなくなっていたのですが、韓国語の文章は読んだり書いたりするのが楽しかったので、勉強をしている間は逆につらいことや病気のことが忘れられたんです。