父との最期の会話は「なんでこんなことに」

五十嵐サキ
父と兄とマス釣りを楽しむ

── お父さんも2021年に亡くなってしまわれたそうですね。お父さんは本当に突然のことだったとか…。

 

五十嵐さん:新型コロナウイルスでした。

 

たまたま、私が仕事で1週間ほど大阪から名古屋に行くことになったんです。その間、父だけで母の介護をするのは難しいという話になり、母にはその間、長期療養の病院に入院してもらうことにしました。入院中も父と母は毎日電話をしていたのですが、ある日母から「父の様子がおかしい」「声がつらそうだ」と私に連絡があって。父に電話をしてみたら、電話口の呼吸がぜいぜいしていたんです。

 

父はとても我慢強い人でした。「熱があったけれど今はもう下がったから、ただの風邪だと思う」と言うので様子を見ていたのですが、2日後、私が名古屋から帰宅する道中で父に電話をすると繋がらず…。嫌な予感がして急いで帰宅したら、家で父がぐったり倒れていたんです。急いで救急車を呼びました。

 

── 体調がつらかったのに我慢されていたんでしょうね。

 

五十嵐さん:冷蔵庫を見てみると食べ物はほとんどなかったので、買い物も行けず、ひとりで我慢していたのだと思います。救急車に乗ると「なんでこんなことに…」と父が言ったのですが、それ以上は話すことができず…。検査してみると新型コロナウイルスに感染していました。私はコロナにはかかっていませんでしたが、コロナ禍の入院制限のため、もう父と会うことはできなくなってしまいました。結局、2週間後に父は亡くなりました。

 

父が亡くなるまでの2週間はいま振り返ってみても、本当にあっという間でした。当時は面会がNGだったため、電話で病院から父の状況を聞くことしかできなかったのですが、担当医からは「退院後、後遺症で父も介護が必要になるかもしれない」と言われて。

 

そのため、私は、父と母のふたりともを介護する覚悟を決めて、私の収入でなんとかやっていけるように、父が入院中に金銭的に負担にならずに3人で暮らせる家を探し、引っ越しに向けて準備を始めました。父のことは新居で迎えるつもりでいました。

 

そのような矢先、父が亡くなったという連絡を受けました。遺体は感染予防のためビニールに包まれていたので、父に直接触れることもできませんでした。お葬式もできず、焼かれた遺骨だけが手元に戻ってきても、心の整理はまったくつきませんでした。

 

母の看病をしているということもあったと思うのですが、父は、誰よりもコロナにかからないよう気をつかっていました。家でもマスクをしていて、外で仕事をしている私よりも何倍も気をつけていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。救急車で話した「なんでこんなことに…」が最後の言葉となってしまいました。父がかわいそうで仕方ありませんでした。