舞台の上で響く笑い声の裏で、過酷な運命と向き合ってきたとは誰も思いませんでした。吉本新喜劇で「マドンナ」として活躍してきた五十嵐サキさん。しかし、私生活では神経のがんを患った兄、コロナで急逝した父との突然の別れを経験。絶望の淵に立ちながらも、残された者として、難病を患った母を「ひとりで支えぬく」と心に誓いました。笑いの裏側に秘められた、壮絶な家族愛の物語を伺いました。

神経のがんで余命宣告 父の人生観を変えた兄の死

野球が上手な自慢の兄だった

── 五十嵐さんのお母さんは難病で、以前はお父さんと自宅介護をされていたそうですね。自宅で介護するというのは、大変だったのはないでしょうか?

 

五十嵐さん:母は2020年に自宅で急に倒れて救急車で運ばれたのですが、その際に「多発性筋炎」であることが発覚しました。筋肉の炎症により力が入りにくくなったり、筋肉に痛みが出たりする難病です。退院後、自宅で父と私のふたりで自宅介護をすることにしたのですが、父がとても積極的に介護をしてくれましたし、私も母のことが大好きだったので、大変さよりも介護をしてあげたいという気持ちのほうが優っていたように思います。

 

父と母は昔からとても仲がよく、私にとって憧れの夫婦でした。仕事から私が帰ると、母が父の膝枕で寝るなど、ふたりでよくイチャイチャしていましたね。下の世話は無理だと言ってやらなかったのですが、父はそれ以外の介護は積極的にやっていました。母は寝るときに呼吸器をつける必要があったのですが、それが寝ているときにズレてしまうこともあるので夜中にたびたび起きて直したり、水を飲ませたり、父が率先して行っていました。

 

介護は、もちろん大変なこともありましたが、私は家族が大好きだったので、母が家にいてくれることがとてもうれしかったです。実は私には兄がいたのですが、兄は28歳のときに病気で亡くなってしまいました。それもあり、家族の絆が強いというのもあるのかもしれません。

 

── お兄さんはどのようなご病気だったのですか?

 

五十嵐さん:何万人に1人しかかからないような珍しい神経のがんでした。具合が悪くてもなかなか原因がわからず、1年ほどかけてやっと病名がわかったころには手術もできない状態で。進行が早く、余命宣告をされてから、1年の延命治療の末に亡くなりました。

 

── 28歳とはかなりお若いと思うのですが、五十嵐さんをはじめ、ご家族はかなりつらい思いをされたのではないでしょうか?

 

五十嵐さん:私自身、本当につらかったのですが、父が特に落ち込んでしまって。父は自営業をしていたのですが、長男だから家を残してあげたいと思っていたようです。そのための準備もいろいろとしていたので、兄が亡くなってからは精神的にかなり参ってしまい。仕事も思うようにできなくなり、金銭的にも厳しい状況が続きました。

 

私も兄のことが大好きだったし、陰では毎日のように泣いていましたが、唯一ふたりの間に残された子どもなので、私がしっかりしなくてはと思っていました。父も母も吉本新喜劇での活躍をとても楽しみにしてくれていたので、私は父と母を笑顔にさせるために、毎日ひとつおもしろい話を必ず持って帰ってふたりを笑わせるんだと決めて日々過ごしていました。

 

── お兄さんの死はご家族にとって人生観を変えるきっかけにもなったそうですね。

 

五十嵐さん:実は、父は私が吉本新喜劇に入団すると言った当初、すごく反対していました。父は私に、結婚して子どもを生んで暮らす人生を望んでいましたし、そもそも、芸の世界で生きていけるわけがないと。それで入団から最初の1年くらいは口をきいてくれなかったんです。ただ、私が少しずつ舞台に出るようになるのを見て、徐々に応援してくれるように。その後、兄の病気や死があって、人生観が大きく変わったことのようにも思います。「人生いつなにが起こるかわからないから、後悔しないよう好きに生きろ」と言ってくれるようになりました。