コロナ禍の不妊治療「精神的にも不安定に」
── その後、中村さんが神戸学院大学に教員として就職するのを機に結婚。しばらくして不妊治療を始められたそうですが、どういう経緯があったのでしょうか。
中村さん:結婚当初から、夫婦で「子どもがほしいね」という話はしていました。脊髄を損傷すると性機能に後遺症が残るので、自然妊娠は難しいというのは最初からわかっていたんです。それで結婚2年目に不妊治療を始めたのですが、僕が閉塞性無精子症であることが判明して。精巣では正常に精子が作られているものの、精子の通り道が閉塞しているために射精時に精子が現れない状態だということで、睾丸から直接精子を採取する手術を行いました。そして選んだ精子を卵子に直接注入する顕微授精を半年くらいかけて何度か試みたのですが、受精卵がうまくできなくて…。
そのいっぽうで、僕自身の性機能は徐々に改善していて、睾丸から直接精子を採取する手術の必要がなくなったんです。それで心機一転、病院を変えることに。転院先で再び顕微授精に挑戦したらグレードの高い受精卵ができて、それを子宮に移植したところ無事に妊娠に至りました。
── 長い道のりだったのですね。治療するなかで、特に大変だったことは何でしょうか。
中村さん:いちばん大変だったのは、妻の心と身体の負担が大きかったことですね。当時はコロナ禍で病院の付き添いも禁止されていたため、妻がひとりで採卵に行って痛い思いをして、不安な状態のまま帰ってくることもあって。妊娠しているか結果を聞きに行くときも付き添えなかったので、心細い思いをさせてしまったと思います。
それに当時は不妊治療に保険が適用されてなかったので経済的な負担もかなり大きくて、僕も妻も余裕がなくなって、もめることもありました。今回うまくいかなかったらいったんストップしようと思っていたところで妊娠できたので、本当に幸運だったと思います。

── 現在は4歳と0歳のお二人の男の子のお父さんです。どういうふうにお子さんに関わっていらっしゃいますか。
中村さん:たぶん、他のお父さんとそんなにそんなに変わらないと思います。いちばんの役目は、車いすの僕の膝に長男を乗せて、幼稚園に送りに行くこと。目立つみたいで、周りの方たちがすごく応援してくれます(笑)。長男はもう言葉でコミュニケーションが取れるので、ふたりで1日出かけたりすることもあります。特に妻が2人目を妊娠してつわりがひどいときは、長男を外に連れ出すことが重要な役割でした。