「当時は不妊治療が保険適用されず、経済的にも精神的にも夫婦ともに追い詰められた」と明かす、中村珍晴(たかはる)さん。大学時代に脊髄を損傷。後遺症のため結婚後は不妊治療を余儀なくされ、出口の見えない暗いトンネルの中で疲弊したそうです。しかし、幸運にも2児の父となり、長男を膝に乗せて車いすで幼稚園に向かう現在、新しい夢を抱くようになったと明かします。
3歳下の妻の言葉が「僕の心に刺さった」
── 2018年にご結婚されましたが、奥さんとはどのように出会ったのでしょうか。

中村さん:3歳年下の妻とは大学院3年目、28歳のころに趣味だったダイビングショップの交流会で出会い、第一印象で惹かれました。食事に誘って初めてふたりで出かけたとき、彼女が「私は全然、気が利かないから、何かあったら言ってね。そしたら手伝うから」と言ってくれたんですが、それが僕の心にすごく刺さって。
というのも、車いす生活をしていると、「これやってあげようか」と善意で声をかけていただくことが多いんですが、実はその大半は自分でできることなんです。なので、「大丈夫です」とお断りすることがしょっちゅうあって。善意だからこそ、ないがしろにしたくないけれど、お断りするのが少し億劫だなど思ってしまうことも…。そんななか、妻は初対面のときから、「できないことがあったら手伝うね」というスタンスで、すごく居心地がよかった。彼女と一緒にいると自分らしくいられるなと思ったんです。
── 最初からお二人のフィーリングが合っていたんですね。その後、ご自身の障害が結婚のハードルになることはありましたか。
中村さん:多少はありました。まず、妻がご両親に「車いすの人との結婚を考えている」と話したときは、反対されたそうです。でも、僕はそれを聞いて「そりゃそうだよな」と思って。それなら、絶対に直接会いに行ったほうがいいなと思ったんです。僕がどんな人間で、これまでどんなことをやってきたかを伝えないといけないと思って。それで、ご両親と会う場をすぐにセッティングしてもらいました。
結婚するにあたって僕は相当な覚悟を持っていたので、たとえ何を言われても正面からまっすぐいこうと。結果的にそれがよかったみたいで、そこからはまったく反対されることはありませんでした。今はご両親に本当の息子のようにかわいがってもらっています。