しぶしぶ出かけた成人式が人生の転機に

── この2年間は、どういう気持ちで過ごしていましたか。

 

中村さん:もともと身体を動かすのが好きだったので、リハビリ自体は無心でできて楽しかったです。慣れ親しんだ家で生活できたのも、安心につながりましたし。いっぽうで、何もない時間にベッドで横になっていると、ふと「このままどうなるんだろう…」と不安に襲われることがありました。

 

当時は家に引きこもりがちだったのですが、地元の友達が定期的に遊びに来て、外に連れ出してくれたんです。自宅に戻って半年後くらいに成人式があって、最初は同級生に自分の姿を見られるのが嫌だったし、マイナスな印象を持たれるんじゃないかと不安で、行かないつもりでした。でも中学時代の友達に「行くぞ」と連れ出されて、しぶしぶ会場に行ってみたんです。すると、当時のクラスメイトたちが昔と変わらず接してくれて…それがすごくうれしかった。結局、被害妄想というか、自分の思い込みだったんだと気づきました。そのとき、もっと外出したい、大学に戻りたいという思いが出てきて。それから、復学するために何を準備すればいいのかを考えて行動するようになりました。成人式に出たことが人生のターニングポイントになったので、友人たちには本当に感謝しています。

 

── 復学に向けて、具体的にどういう努力をしていったのでしょうか。

 

中村さん:まず大学の90分の授業を受け続ける体力がなかったので、地元にある大学の公開講座を受けに行って訓練したり、手の麻痺でノートの書き取りができないので、パソコンの勉強をしたり。一つひとつ課題を解決していきました。

 

あとは、実家から大学のある奈良県に引っ越したとして、その後の生活をどうするかという問題もありました。その点は、大学関係者の方々が本当によくしてくださって。僕が実際に通学したり、授業を受けるときにサポートする人が必要だろうと、学生のボランティア組織を作ったり、大学になかったエレベーターやスロープを新設するなど、熱心に受け入れ態勢を整えてくださいました。

 

── 中村さんの地道な努力と、大学側の受け入れ態勢があって復学が実現したんですね。復学してからは、アメフト部に戦術分析スタッフとして関わってくようになりますが、どういう経緯があったのでしょうか。

 

中村さん:アメフト部のみんなのもとに行きたいという思いが強くて、最初はグラウンドに行けさえすればいいと思っていたんです。でも、それが実現して何日か過ごすうちに、自分はチームに貢献できてないという思いがふつふつと湧いてきて。とはいえプレイヤーとして戻ることはできないし、手足が不自由だとマネージャーなどのサポート業務はできない。自分にできることって何なんだろうと考え始めました。

 

そうしたら、当時の監督が「中村にできることを見つけよう」と一緒にいろいろ調べてくださって。アメフトという競技は勝敗において戦術がすごく重要なのですが、さいわい僕は脳への障害はなかったので、戦術を考えたり、整理したりすることなら自分にもできるとわかって、この道に進もうと思いました。

 

ただ、僕は大学からアメフトを始めたので、事故に遭う前の5か月しか競技経験がなかったんですよね。だからもう、いちから勉強して。いろんな試合のビデオを観たり、戦術についてコーチの方に質問したり。そんな学びの時間はすごく楽しくて、どんどん夢中になっていきました。大学に復学したのだから、学業に集中しろって話なんですけど(笑)。自分でも役に立てる居場所が見つかったことが、とにかくうれしかったんです。

 

そうして2年間、戦術分析スタッフとして携わったのですが、当時の監督が、僕を次の監督に抜擢してくださいました。まだ大学生だったので、学校では選手たちと一緒に授業を受けて、部活の時間になると監督の立場に立つという。そういう状況で4年間務めさせていだきました。