受験生で結婚・出産「試験会場のトイレで授乳も」

新開貴子
左から新開さん、実母、夫。結婚後に夫は九州大学に入学。新開さんも福岡で受験勉強をすることに

── 32歳で小学校のころに抱いた夢の再スタートをきるわけですが、医学部受験は難関と言われています。受験勉強はどのように?

 

新開さん:1年目は近所の個人塾に入って、中1の計算問題から始めました。個人に合わせて教えてもらえるので、学びやすかったんです。翌年は塾と並行して、松江市の予備校にも通いました。最初の2年はセンター試験で40%、45%で、合格には程遠かったと思います。3浪目は河合塾にも通いましたが、ここでも2浪目と同じ45%。4浪目は夫が九州大学に入学したため九州の代々木ゼミナールに移りましたが、センター試験は50%に届かない数字でした。

 

── 受験勉強に励んでいるなか、通っていた塾で11歳年下の現在の旦那さんと出会います。2浪していた34歳のときに結婚されたそうですね。

 

新開さん:夫は横浜国立大学数学科を中退し、私と同じく医学部を目指していました。

 

── 夫婦ともに20歳を越え、人生をかけた受験に挑む最中だったと思います。こうした状況でなぜ結婚に踏み切ったのでしょうか。

 

新開さん:年齢的なこともあり、受験生だからといって結婚や出産を先延ばしにはできなかったんです。

 

── 4浪していた36歳のときには長女を出産されますが、出産・子育てと並行して勉強を継続されます。体調は大丈夫でしたか?

 

新開さん:つわりでツラいなか受験勉強をするのは大変でした。重症悪阻(おそ)といって、何も食べられなくなって脱水症状に陥り、3か月入院したこともあります。出産後も、母乳で胸がパンパンに張って、試験会場のトイレで搾乳することもありました。39歳・7浪目のときに第2子の長男を出産したのですが、このときも同じ状態になりました。

 

── 新開さんが子育てと受験勉強を続けるなか、周囲の反応はどうだったのでしょうか?

 

新開さん:夫は次男なのですが、義理の父が亡くなったとき、葬儀の席で「次男の嫁は働きもせずに受験を続けて、何やってるんだ」と親族から責められたことがあります。ショックで、川辺で朝まで泣きました。その後、 医師になってからは態度が変わって、帰省すると病気や薬の相談をされるなど、頼られるようになりましたが(笑)。

 

でも、家族はみんな応援してくれました。夫は聡明な人ですから、本来なら彼も医学部に合格できていたはずです。でも、私の夢を優先して、当初とは別の大学に進路を変えて、卒業後は一般企業に就職。家族を支える道を選んでくれました。子育ても協力的ですし、試験の対策もしてくれました。

 

私が6浪目のときは夫の仕事の都合で、北海道に引っ越しました。子どもは上の子が3歳になっていて、2番目の子を妊娠していたので、私の母も北海道にきて同居、子どもたちの面倒を見てくれました。母は退職金を全部、私のために使ってくれて、金銭的な援助もしてくれました。兄や義理の父母も島根から手伝いに来てくれて、とても助けられました。7浪目では2番目の子どもが生まれていたので、周りの助けを借りながら子育てと勉強を続けていました。

 

── なぜ、そこまでして医師を目指し続けたのでしょうか?

 

新開さん:困難な状況でも医師になる夢を諦めなかった原動力は、自分のように心をないがしろにして生きている人をひとりでも救いたい、という強い思いと、それが自分自身を救うことになる、という確固たる信念でした。もし、穏やかな10代を過ごしていたら、ここまで強く夢にこだわり続けることはなかったかもしれません。数々の困難な経験があったからこそ、同じように苦しむ人々を救いたいという、揺るぎない使命感が生まれたんです。

 

でも、本音をいえば、こんなに時間がかかるなんて思いもしませんでした。もし、20年もかかると32歳のときに予言されていたら、チャレンジしていなかったと思います。