月収8万円に「バイトを始める」と家族に宣言
── 上からの景色を見た後の下り坂は恐怖ですよね。とどめはコロナ禍ですか…。「観客の前でしゃべってなんぼ」の芸人の方々は活動の場を失って苦しい時期だったと思いますが、亘さんはこのころ、どんな思いで過ごしていたんですか?
亘さん:何もすることがない。何をしたらいいかもわからなくて、家でダラダラ過ごしていました。ただ、コロナ禍は「1、2か月で終わるだろう」と思っていたところもあったので「まあ、いいか」と。
でも、全然終わらなかった。このときの月収は8万円程度でした。しかも、その月収も吉本興業が「ライブ自体は中止状態だけど、先に決まっていた劇場出演のスケジュールに関するギャランティはお支払いします」ということで、いただいていたお金だったんですよ。だから長く続くわけもなく、実質収入はゼロ。いよいよまずいなと。
このころあまり眠れなくなったりもして。自分はわりとぐっすり眠るタイプだったんですけど、2、3時間で目が覚めるようになったんです。そこから朝まで眠れないこともありました。それまで「眠れない」経験なんてなくて、最初は「更年期障害かな?歳のせい?」と思ったりもしたんですけど、いま考えると目に見えないストレスがかかっていたのかもしれません。病院に行って受診したわけではないので、はっきりしたことはわからないですが、初めての「異変」でしたね。

── そうでしたか…。2011年に誕生した長男、2016年に誕生した長女とお子さんが2人もいらっしゃいますし、家族をどう養っていくか、焦りも出てきますよね…。奥さんとは何かお話しされましたか?
亘さん:さすがに話しましたよ。独り身の若いころとは違って子どもが2人いて、「家族を食わせていかないといけない」という使命感が根底にあるので。そこが自分にとって、いちばん大きな要素。吉本興業からの8万円プラス国からの補助金、あとは貯金を使って生活している状況だったので、家族のことを考えると「このまま芸人でいるのはぜいたくというか、わがままなのかな?」と思えてきて。
女房には「芸人はやめたくないし、やり続けたい。だけど『家族を養う』ということが俺のなかではいちばん大切なことだから、バイトを始める。それでも、本当に家計が厳しくなったら、そのときは言ってくれ。芸人をあきらめて別の仕事1本にするから」と、言いました。