日当1万3000円の住み込み仕事を始めたことで

── 家族のために、少しでも稼げる道を模索しつつ、そのことを奥さんにしっかり伝えている姿は夫として、父親として、かっこいいと思います。何のバイトを始めたのですか?

 

亘さん:2020年の6月ころだったと思いますが、知り合いだった工務店の方から「本当に仕事が何もないんだったらうちでやる?」と、言っていただいたんです。それを受けて「じゃあ、お願いします」と。自分は工業高校出身で、学生時代にブロック塀を積むバイトなどをやってたんですよ。芸人になる前、自衛隊に入隊して整備の仕事を担っていたので、建築のノウハウはわからないながらも、工具はある程度扱えたんですよね。

 

バイト先は知り合いの会社だったこともあって、みんなが温かく受け入れてくれて。そこはありがたかったですね。現場もそんなに嫌いな分野ではなかったので、わりとすんなり業務に入れました。仕事内容としては店舗や家の大工仕事の手伝い。ボードを取りつけるビス打ちだったり、電気設備の手伝いをしたり…という感じです。

 

亘健太郎
現場では溶接作業もやっています

── これまでの経験も少し生かせる仕事だったんですね。住み込みでされていたとうかがったのですが?

 

亘さん:職場が千葉県香取市で、自宅から遠かったんですよ。週6で働いていたこともあって、住み込みのほうが通勤面や時間面を考えると要領がよかったんですよね。日曜日は休みだったので自宅に帰って家族と過ごし、また月曜日から現場に行く生活をしていました。稼ぎでいうと、日当が1万3000円ほどだったので、月に30万円程度は稼いでいたかなと思います。だから、家族を養っていけるくらいのお金はもらえていましたね。

 

── 村上さんには別で仕事を始めたことを話していたんですか?

 

亘さん:話してないですね。仕事がなければ接することはないので(笑)。「俺が何かやったとしても迷惑かかることはないでしょ」って感じで。バイトがあるからといって芸人の仕事を断るというスタンスもありませんでしたし、それ以前に芸人としての仕事がなかったですから。「今後どうするか」といった話も、2人ではしていなかったですね。

 

その後、ライブイベントの無観客配信が始まり、村上とも顔を合わせていましたが、深い話はいっさいしていませんでしたよ。

 

── 芸人として脚光を集めて華やかな世界に身を置くところから、まったく別の仕事をするようになって、ご自身のなかで「自分は何をしているんだろう?」といった葛藤のようなものはなかったですか?

 

亘さん:なくはないですよ。でも、何もせずに家にいた数か月がつらかった。何も生み出さないし、仕事をしていない状態はとても不安だったんです。それに比べたらメンタル面のつらさはやわらぎました。バイトを始めてから眠れるようにもなりましたから。

 

「メディアから消えた亘」と思われていたかもしれませんが、現場での仕事を始めてからは精神的に安定した感覚はありました。やはり、家族を養うことがいちばんですから、「それができているかどうか」だったんですよね。

 

取材・文/高田愛子 写真提供/亘 健太郎