約10年前、若手芸人のトップランナーだったフルーツポンチは、その後、コンビとしてのメディア露出が激減。相方の村上健志さんのピン仕事は順調ないっぽう、亘健太郎さんは「下ってる」実感しかない日々でした。コロナ禍もあり、ついには芸人の収入はほぼゼロに。そのとき下した決断は──。
『ピラメキーノ』の終了で仕事が減っていき
── 人気番組だった『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系列)からのし上がり、『ピラメキーノ』(テレビ東京系列)でMCに抜擢され、気づけば人気芸人への階段を昇っていたお笑いコンビ・フルーツポンチ。しかし、2015年に『ピラメキーノ』が番組終了すると、メディアへの露出が減っていったそうですね。当時、どのような心境だったのでしょうか?
亘さん:『ピラメキーノ』が2010年代前半、とくに子どもたちの間でブームを起こし、自分のなかではノリにノッていた後ですね。もともと番組はゴールデンでスタートをきったのですが、2013年には朝の5分番組に規模が縮小されて。視聴者が離れていくなか、スタッフさんの頑張りで何とか番組を継続していましたが、そのあたりから芸人として、「徐々に下降線をたどってるな」という感覚がありました。
それまでの芸人人生はずっと上り坂でした。デビューしてからは希望に満ちているというか、上しか見ていないから不安がなく、ひたすら頑張るだけ。でも、その後に下りがあるのを知ってしまい、「これ、どこまで下るんだろう…」って。「いま、下ってんな」という感覚は怖いですよ。下り坂の先に、上り坂が見えていれば頑張れますけど、番組が縮小して露出が減っていくなかで、また上り坂になるとは思えませんでした。
このときが芸人人生で、いちばん不安だったかもしれないですね。そして、とどめを刺したのがコロナ禍。ライブやイベントの中止が相次いで。相方の村上は、ピンでテレビ出演していたりもしましたが、自分にはオファーがなく、ついに仕事がなくなったんです。