母の無心に応え続けた結果、学費が払えなくなり

── 働きながらの進学を機に、実母との関係は変化しましたか?

 

米田さん:それが…あまり変化はなくて。母には連絡先を教えていたので、相変わらずよく電話がかかってきていたんです。

 

『私の人生を食べる母』より
母からの電話は決まって「お金の無心」だったそう。米田さんの実体験を漫画化したコミックエッセイ『私の人生を食べる母』(KADOKAWA)より

── 連絡先を教えたんですか?


米田さん:児童養護施設を出る際に、母に連絡先を教えるかどうか先生から聞かれたのですが、「血の繋がりのある肉親は母しかないので、伝えてほしい」と答えました。母とは、専門学校を卒業したら母の元に戻る約束もしていました。母から離れようと物理的な距離を置いたけれど、母を見捨てることはどうしてもできなくて。

 

母からの電話は決まって、お金の催促でした。でも、私が母を助けなかったら母は死んでしまうかもしれない。昔は大人にお金を借してほしいと頼んでも一度も成功しなかったけれど、今なら少しだけど自分で稼いだお金を渡せる。そう思って、給与の中から必要最低限の生活費を残して、それ以外を母へ振り込みました。

 

でも、要求額がどんどん増えていって。ある日、「今月、手術するから30万円貸してほしい」と言われたんです。いつも以上の大きな額に驚きましたが、ちょうど翌月に半年分の学費の支払いのために、コツコツ貯めてきた30万円があって。「本当に必要なお金だから、来月までに絶対返してね」と約束してお金を振り込みました。ところが、それ以来、母からの連絡がプツリと途絶えてしまって。

 

米田幸代
看護専門学校に通っていたころ、友人たちと。後列左が米田さん

── そんなことが…つらすぎますね。

 

米田さん:これまでも母に貸したお金は一度も返ってくることはなかったけれど、この出来事には本当に傷つきました。決定打になったというか。私はずっと母に迷惑をかけないで生きてきたつもりです。子どものころからずっと母のことを思って家事の手伝いもしてきたし、自分で働いてお金を貯めながら学校に行って、お金だって貸してきた。でも、母は私の進学に必要なお金とわかっていたのに返してくれませんでした。そのことがものすごく悲しくて。母は私のことを応援していないんだなと確信しました。