「幸代が助けてくれないとお母さん死んじゃう」

── 希望を胸にスタートした実母との暮らしはいかがでしたか。

 

米田さん:想像していたのとはまったく違う、壮絶な状況でした。家はボロボロのアパートで、母は仕事をしているけれど、生活全般に困っていました。当時、母の口癖は「幸代が助けてくれないとお母さん死んじゃう」だったんです。今なら脅しだとわかるけれど、10歳だった私はそのまま素直に受け取って、どうにか母を助けたい、母の力になりたい一心で、洗濯から掃除、母の身支度の手伝い、お弁当作りなどを必死にやっていました。

 

『私の人生を食べる母』より
実母の口癖は呪いのように米田さんの人生に付きまとったそう。米田さんの実体験を漫画化したコミックエッセイ『私の人生を食べる母』(KADOKAWA)より

特につらかった出来事が3つあって…。1つは、大人相手にお金を借りに行かされたことです。近所の方から同級生の家など、何軒も回りましたが結局、誰からも借りられませんでした。母を助けられない自分の無力さに打ちのめされましたし、こんなに泣きながら必死で頼んでも、大人は私を助けてくれないんだという絶望感もありました。

 

── それはすごく傷ついたでしょうね…。

 

米田さん:はい。とてもしんどかったです。2つ目は家事です。家事のほとんどを任されていましたが、やってもやっても褒めてもらえず、感謝もされませんでした。また、「かわいくない」「気持ち悪い」と容姿まで否定されて。褒められた経験がないので、頑張りがたりない自分が悪いのだと思っていました。

 

3つ目は、私が家事などでうまく立ち回れないことに苛立った母から、夜、寝ているときに頭を踏まれた経験です。ある日、寝ているときに、頭が押しつぶされそうな痛みを感じて目覚めたら、頭の上に何かがあるのがわかって。よく見たら母の足でした。不満を口にしながら踏みつけてくる母の行動に本当にびっくりしたし、一瞬なぜそんなことをされたのかわからなくて身動きがとれませんでした。しばらくして母がその場から去ったあと、ふいに涙が出てきて。泣いているのが母にバレたら母を傷つけてしまうと、気づかれないよう布団のなかですすり泣いていたことを覚えています。きっと、愛されたい、信じたい人に裏切られてすごく傷ついたのだと思います。今でも思い出すたびにしんどくなってしまいます。

 

『私の人生を食べる母』より
実親から何をされても言われても、「私がちょっと我慢すればいいだけ」と言い聞かせていた。米田さんの実体験を漫画化したコミックエッセイ『私の人生を食べる母』(KADOKAWA)より

頭を踏まれることは何度もあって。踏まれるたびに全部私が悪いんだ、母の期待に応えられていないし、母の力になっていないからと、自分を責めていました。そのせいで、自己肯定感はまったく育たないまま大人になった気がします。でも、私に限らず、親から虐待を受けた子どもは、どんなにひどいことをされても自分のせいにしてしまう。どんな親でもかけがいのない存在だから、親をかばうんですよね。

 

── その気持ちはわからなくはないですが…。里親のところに戻りたいとは思わなかったのですか?

 

米田さん:それは思いました。実は、実母との生活が始まってすぐに、里親に連絡して「戻りたい」と伝えたんです。でも、「できない」と言われてしまって。それを聞いて、里親に見放されたと感じ、言いようのない喪失感に襲われました。

 

今振り返ると、当時も実親から児童相談所への申し出があれば、里親の元に戻ることは可能だったはずです。でも、実親からの申し出がないと進まないので、里親は私にそのように伝えるしか方法がなかったのかなと思います。今は、子どもが自分の思いや意見を自由に表明できるようにサポートする「子どもアドボカシー」という取り組みが広がっているので、私のような喪失感を味わう子どもがいなくなることを願っています。