0歳のころから、祖父母ほどの年齢の里親の元で、血のつながりはないながらも愛情いっぱいに育てられた米田幸代さん。10歳のときに、待望の実母との暮らしが始まります。しかし、待ち受けていたのは過酷な日々でした。(全3回中の1回)

里親に愛されて育つも、拭いきれない違和感

── 米田さんが生まれたとき、実母には子どもを育てる力がないと判断され、0歳から里親に育てられたそうですね。ご自身でもそれは認識されていたのでしょうか。

 

米田さん:はい。物心ついたときには「私は里子なんだ」と理解していました。幼いころから「本当のお母さんは別にいるんだよ」と里親に教えてもらっていたんです。里親は私とは祖父母くらい歳が離れていて、私以外に何人も里子を育てていました。その状況のなかで、里子であることを本人に包み隠さず伝えるという方針になったのかなと思います。

 

今では、里親に限らず養子縁組里親の場合も、「子どもの出自、真実告知は早い段階で伝えるべき」とされています。実際、10歳以降に告げられた場合、「こんなに親を信頼していたのに裏切られた」と傷つく子どもが多いと聞きました。

 

── 実母が別にいることも理解していたのでしょうか?

 

米田さん:はい。「今は一緒に暮らせないけど迎えに来るよ」と、里親から聞かされていました。だから、実母への憧れは常にありましたね。里親はやさしくて大好きだったし、愛されているという実感はあったけれど、「私はこの家の本当の子じゃない」と感じていたのも事実です。里親には実の孫たちがいて、実母もいるのに里親さんにも甘える孫たちに、よくやきもちを焼いていました。

 

里親と名字が違うせいもあり、周囲の偏見の目のようなものも子どもながらに感じていて。心のなかにはいつもモヤモヤを抱えていました。だから、10歳のときに実母から一緒に暮らしたいと連絡があったときは、「待ち望んだこの日がやっと来た!」と、すごくうれしかったです。ようやくモヤモヤが消えて幸せな暮らしが始まる、と思いました。