仕事をキャンセルしていたら事務所からも見放され
── 介護と仕事の両立はできたのでしょうか?
藤さん:やはり難しかったですね。母はひとりでは何もできず、ベッドの上げ下げも、食事をとることもできません。母は自力で排便もできなかったので、ブジーという管を使って処置していました。それが11時と16時の1日2回。当初はふたりがかりでやっていたので、その時間は私が家にいなければなりません。
その後ヘルパーさんに、ひとりでブジーができるよう努力してもらいました。ただ、私が仕事に行きたくても、ヘルパーさんが入れない日も出てきます。そうなると私はもう動けません。それにヘルパーさんを雇って私が働いたとしても、ヘルパー代は高額で、私のギャラより高いんです。お断りをせざるを得ない仕事、できない仕事が増えてきました。

ついに事務所から「ほかの仕事を探して」と、言われてしまいました。ほかの仕事といわれても、何もできません。介護を始めてから仕事をろくにしていなかったので、貯金もなくなっていき、もう絶望的でした。
そんな中、久しぶりに友人の林真理子さんに会う機会があって、一緒にランチをしたんです。当時、よほど酷い顔をしていたのでしょう、「もう女優の顔じゃなかった」と、あとで言われました。でも、私を案じた林さんが幻冬舎の見城徹社長に相談してくれて。見城さんにいまの事務所の社長さんを紹介され、事務所を移籍することができたんです。本当に林さんのおかげです。
── 自宅介護をしていると、プライベートのおつき合いも難しくなってきそうです。
藤さん:介護中は、外出をしようという余裕がなくなっていました。外泊などは問題外です。ただ、観月ありささんの結婚式がバリ島で開かれたときは、私もかけつけています。実は母の介護を始めてからは、飛行機には絶対に乗らないと決めていたんです。私にもし万が一のことがあったら母がひとり取り残されてしまいますので。だから、最初はお断りしようと思ったけれど、ヘルパーさんたちが「行ってきたら」と言ってくださって、母も「行け、行け」という身振りをするんです。ヘルパーさんにこまごまと依頼をし、準備万端でバリ島へ飛び立ちました。
ところが、そのころインドネシアで噴火が起こり、帰りの飛行機が飛ばなくなってしまって。ヘルパーさんに電話をかけて、事情を話して、何とか私がいない間のケアをお願いして…パニックでしたね。数日後、日本に無事戻ったけれど、あのときは本当に大変でした。