在校生の約8割に不登校の経験があるという福岡県の立花高校は、ユニークな授業や地域の方との活動を通して生徒の自主性を大切にしているそうです。文科省の不登校に関する研究会議の委員も務める齋藤眞人校長は、「大人が子どもたちの自立の意味を履き違えている」と指摘します。齋藤校長が考える、本当の意味での自立についてお話を伺いました。
自分の得意なことは誰かの苦手に役立つ
── 立花高校は、在校生の約8割が小中学校で不登校を経験したことがあると伺っています。高校を卒業後はどのような進路を歩んでいるのでしょうか。
齋藤校長:就職する子、進学する子と両方いますが、他校さんと比べてうちは福祉サービスの道に進む子が多いです。

小中学校はほとんど通えなかったという子も多いのですが、8年間まったく学校に行っていなかった男子生徒さんが、「将来は子どもに関わる仕事がしたい」と言って、現在、放課後デイサービスの職員をしています。日本の教育を、自分で叩き直したいそうです。先日、「先生、学校使わせて」と連絡があって、子どもたちを引率して本校にやってきまして。子どもたちから「先生、先生」と慕われてニコニコしている姿を見て、僕ら教員はみんな涙をボロボロ流してしまいました。
── 素敵ですね。
齋藤校長:在学中、学校に行っていなかった理由はひと言、「合わんかった」とだけ言っていました。もうそれ以上は聞きません。「そっか、合わんかったか」って。生徒さんたちの過去の話については、根掘り葉掘り聞くのではなく、話せる環境があれば話したい子は話してくれますし、話したくない子は話さなくていいと思っています。
この夏は地域のお祭りで、教員と卒業生で焼き鳥の屋台を出店したのですが、卒業生と一緒に焼き鳥のくし打ちを泊まり込みでして、楽しかったですね。私たち教員は、卒業生と一緒にいるのが楽しくてたまらないんです。その場で、ある卒業生が「校長ちゃん、社会は立花(高校)みたいに甘くないから、あんた社会に出たら苦労するよって言われ続けよったけど、社会にも素敵な大人いっぱいおるやん。みんな助けてくれるっちゃんね」と言ってくれた言葉に涙が出ました。
うちの学校では、卒業式に「人に迷惑をかけ続けなさい」というのが、はなむけの言葉なんです。人に迷惑をかけずにひとりでなんでもできるようになることが自立ではなくて、苦手なことを誰かに助けてもらうことのほうが大事だと思うんです。裏返していうと、自分の得意なことが誰かの苦手なことに役立てるということです。
── 助け合いましょうと小さいころから教えられるわりに、人に頼るのは躊躇してしまって難しいですよね。
齋藤校長:大人だって、ひとりの力で生きている人なんて誰もいませんね。みんな助け合って生きている。それなのに子どもを自立させようとして、人に迷惑をかけるな、なんて教えは卑怯だと僕は思います。できないことではなく、できることに目を向けて、助けてほしいときに助けてと言える力のほうが、大事だと思っています。
ほかの卒業生が、「他校の子って、何ひとつ自分で決めきらんと。うちの学校って自分で考えて自分で決めて、すごい経験してるんやね」と言っていました。うちは授業をサボっていても怒られることはないけれど、その結果を背負っていくのも本人たちで、そのあたりは厳しいと思います。卒業までに必要な単位は決まっています。今サボったらあとでこうなるし、頑張ったらこうなるというのが実感できるので、生徒さんたちは今、自分はどうすべきかを問われ続けていると思います。
学校のレールに敷かれて与えられたものをこなすことはできたけど、実際の社会は違います。今の日本は、学生時代にこれだけ同調圧力に子どもたちをさらしておきながら、社会に出た瞬間に「あなたの意見は、個性は」と問われる。そんなの無理ですよね。なんて理不尽なんだろうと思います。