福岡県に不登校を経験した入学希望者が殺到している私立高校があります。在校生の約8割に不登校の経験があるという立花高等学校の生徒は、入学後「自分のペースで登校できるようになる子が多い」と齋藤眞人校長は話します。なぜ子どもたちは学校に行かないという選択をするのか。文科省の不登校に関する研究会議の委員を務め、生徒たちから「校長ちゃん」と親しまれている齋藤校長に、現状の学校や社会の問題点を伺いました。
入試日に吐いてしまう子がいる現実
── 齋藤先生が校長を勤める立花高校は、生徒の8割が小中学校で不登校の経験があると伺いました。生徒たちはどんな理由で立花高校への入学を希望して通っているのですか。
齋藤校長:小学校や中学校ではつまずいてしまったけれど、高校からは学校生活を送ってみたいという動機が最も多いです。ゲームでたとえるならば「リセットボタン」ですね。本校の、個性を認め自由でのびのびとした雰囲気に「ここならばやっていけるのでは」という思いを抱く生徒さんが多い印象です。

── 逆を言うと、通うことができず不登校になってしまった学校は自由な雰囲気ではなかったということでもありますね。
齋藤校長:あまり子どもたちの過去を否定的にはとらえたくはないのですが、やはり同調圧力ですとか、集団行動に馴染めない子たちにとって、現状の学校のあり方ではつらい思いをしてきたのだろうと想像します。子どもたちは楽しく生きる権利を持って生まれてきているはずなのですが、学校では個人より集団が重んじられる風潮がありますし、日本人特有の、多少の困難は歯を食いしばって乗り越えるものという精神性が学校では特に重要視されているのも影響していると思います。
── 困難を乗り越える話の例でいうと、受験をはじめ、親が頑張ってきたことを子どもにも頑張らせようとする風潮はたしかにある気がします。
齋藤校長:入試当日に、本校に来る途中の坂道で吐いてしまった子がいました。わずか15年ほどしか生きていない子どもをここまで追い込んでしまっていることを、日本社会はもっと真剣に考えなくてはならないと思っています。社会がこんなに学校を追い込んでしまっているのに、「その子が甘いからだ」と大人から子ども本人に問題の所在がすり替えられてしまっています。
大人の我々だって、何かと戦ってきて今の社会的な立場があるわけで、誰もがかつて、ものすごく緊張して試験や面接に挑んだ経験がきっとあると思うんです。大人も頑張った自分を認めていいはずなのですが、時が過ぎてしまうと、いつの間にか当たり前のことになってしまっている。時代が変わっているのにそれを次の世代の子どもたちにも押しつけて、彼らの頑張りをないがしろにしてしまっているように感じます。
── 立花高校は、名前を書けば合格できると言われていた時代もあったそうですね。ただ最近は受験希望者が多く、入試で選考しなくてはならない状況だと伺いました。
齋藤校長:多くの方が本校の受験を希望してくれているのですが、募集定員が決まっていますので、不合格者を出さなければならない状況です。私たちが望んでいるわけではないのですが、こうなってくると学力試験と面接試験で線引きをしなくてはなりません。「この子はどうかな」と一人ひとりを見ていくと、本来は全員が合格です。希望している子全員を合格させたいというのがおこがましくも我々の願いなのですが、それができないことが心苦しいです。
もともと本校の選抜の基準は、成績が下の子から合格させようというのがありました。うちにしか来ることができない子どもたちに扉を開ける学校でいたいという思いからです。でもそうすると、先読みした受験生の保護者が、「毎日学校に行ったら、立花には受からない」とか「通知表も、2とか3はだめ。1を取りなさい」と子どもに伝えるような動きが出てきてしまいました。ある意味で、見事にうちの考え方をわかっていらっしゃるのですが、実際にそれをされてしまうと、中学校の先生の足を引っ張ることになってしまいます。それは不本意ですので、入試に関してはシビアに判断させてもらっています。学校の理念として、勉強より大切なものがあるという思いもあるのですが、勉強がどうでもいいとは決して言っていません。その辺のあんばいが非常に難しいです。
── 実際に立花高校に通い始めた子は、不登校を繰り返すことはないのでしょうか。
齋藤校長:全員が必ず大丈夫だというわけではありません。本校でも足が止まってしまう子もいます。しかし、学校に喜んで通えるようになる子が多いのは事実です。出身の中学校の先生からは、「あの子が通えているんですか」とびっくりされます。「立花さすがだね、すごいね」と言われることが多いのですが、うちの学校が何か魔法を駆使して学校に来られるようになったわけではありません。
みなさん大事なことを見落としていると思うのですが、うちに来たから来られるようになったのではなく、うちに来た子たちが頑張って来ているだけの話で、これはすべて生徒さんたちの努力の成果です。周りも同じ環境の子がいるから、自分だけが肩身が狭い思いをして生きていた存在ではなくなるということが影響しているのだと思います。これもある意味で、逆の意味での同調圧力かもしれませんね。