がんの転移が判明し「パニック寸前に」

── 無事に手術が終わって、そのあとどうされたんですか。

 

希良梨さん:ホッとした気持ちで次の診察に伺ったのですが、先生が深刻そうな顔をしているんです。「次は何!?」ですよね。そこでがんが骨盤リンパ節に転移していること、ステージ3のがんだということ、抗がん剤治療の話をされました。それを聞いたとき、まるで時が止まったかと思いました。パニックになる直前といいますか、予想もしていない、あまりにもショックなことがあると人ってこうなるんですね。

 

希良梨さんと祖母
希良梨さんと祖母の2ショット

私としては、「悪いところがわかって、無事に手術も終わって。さあこれから」という気持ちだったので、崖から急に突き落とされたような感覚でした。子宮頸がんの経験があったので、その手術までは何とか自分を取り繕えていたのですが、結果を聞いたあとから、ふとしたときに涙が流れてくるようになって。

 

道を歩いているときは、人目につかないような場所に隠れて泣いて、夜になるとひとりで思い詰めて泣き叫ぶことも。病気になった自分を責めることもありましたし、「これはもしかしたら何かの役を演じていて、ドラマの主人公なのかな」と、自分のことのようで自分のことではないような感覚もありました。日本の芸能界で育ててもらったので、何があっても常に笑顔で、ポジティブでいるということが体に染みついていたはずなのに、自分がこんなにも弱い存在だということにも気づきました。

 

── 抗がん剤治療を始めることや、病気を受け入れることなど、たくさんの葛藤があったと思います。治療に向き合うのに心の支えになってくれた方はいましたか。

 

希良梨さん:母や友人、応援してくださるファンの方の存在が大きかったです。母は病院にも毎回一緒につき添ってくれていました。娘が病気だということだけでも、心配や苦労をかけてしまっているので、これ以上悲しませたくないという思いで治療に向き合おうと思えました。

 

順番ではないですが、私には、母よりも長生きして母の老後を見てあげたいという夢があるんです。産んでくれた恩返しで、これだけは私の使命だと思っています。ひとりっ子なので、その役目を担うのは私しかいません。それに、祖母のときに感じた後悔を母で繰り返したくないというのもあります。大好きだった祖母が亡くなる前、泊まりがけで会いに行き、たくさんいろんな話をしたのですが、「もっとしてあげられることがあったのでは」とずっと悔やんでいます。周りからは「おばあちゃん、喜んでたと思うよ」と声をかけてもらえるのですが、自分のなかでは納得いかず、絶対に同じことは繰り返したくありません。

 

治療にあたっては、医療チームに恵まれました。優しく話を聞いてもらえる先生や看護師さん、メンタルをサポートしてくださるカウンセラーの方にも親身に話を聞いてもらい、支えてもらっていました。もしかしたら治療に向き合ううえでいちばん大事なことは、気持ちの面のケアなのかもしれないと思うようになりました。

 

── ファンの方やSNSのフォロワーの方からもたくさんのメッセージをいただいたそうですね。

 

希良梨さん:昔からのファンの方からは励ましの言葉をいただきました。同じ病気の方やほかの病気の治療中の方などからは、共感の声や応援のメッセージをたくさん届いて。InstagramやTikTokでライブをすると、「希良梨さんが好きで、娘に同じ名前をつけました。応援しています!」とか、「世代は違うのですが、親がファンだったことをきっかけに好きになりました」というようなお話も伺えて。その愛情深い言葉に救われたのと同時に、今まで知らなかったけれど、こんなに病気で苦しんでいる人がたくさんいるという事実にも驚きました。

 

点滴や採血を重ねてボロボロな自分の腕を見るたびに悲しくなっていたのですが、このころから、自分が発信することで誰かのためになるということや、人が喜んでくれることが私の幸せだということに気づき始めました。

 

 

6回に及ぶ抗がん剤治療を行った希良梨さん。副作用で髪やまつ毛が抜けてしまったそうですが、ウィッグやメイクでおしゃれを楽しんでいるそうで、「これも私の強み」と明るく話します。副作用の強さから抗がん剤治療を中断した時期もありましたが、友人と会ったり、自分を励ましてくれる言葉を本で探したりして気分を落ち着け、再び治療に向き合えたとのこと。治療を終えて経過観察となった今は、清々しい気持ちで前を向けているそうです。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/希良梨