俳優などとして活動していた希良梨さんは、がんの診断を受け抗がん剤治療を続けていました。「自分を責めた」という病気が発覚した当時の心境を伺いました。(全3回中の1回)

「20年前と同じ感覚」がんの再発と転移

── 語学や新しい文化に触れようと、おととしからメキシコで移住生活を送っていましたが、途中から体調が優れない日が続いたと伺いました。

 

希良梨さん:小さいころからアレルギー体質で喘息持ちだったのですが、メキシコで咳が2か月間止まらなくて。現地の病院で処方された薬が合わず、体調が悪い日が何か月も続きました。眠れない日もあって、「なにかがおかしいな」と。

 

希良梨さん
トレードマークのショートヘアがお似合いの希良梨さん

ちょうど日本が桜の時期で、「久しぶりに桜が見たい」と思って帰国を決めました。今考えると、祖母に「戻って来なさい」と呼ばれたような気がしています。祖母は、シングルマザーの母と一緒に私を育ててくれた存在で、ちょうど桜が満開の時期に亡くなりました。日本に帰国してから次々と病気が発覚して、この1年は本当に怒涛の日々でした。

 

── 帰国後、子宮頸がんが発覚したそうですね。どのような経緯でわかったのですか。

 

希良梨さん:日本に帰国してから、不正出血がありました。以前から少し生理不順だったこともあって、ネットで評判がいい産婦人科を調べて受診しました。20代で子宮頸がんを患って手術をした経験があるので、詳しく検査することになりました。

 

不正出血はお薬ですぐに収まったので、「せっかく日本に帰国したんだし、国内旅行に行きたい」と思い、結果が出る前に向かうことにしたのですが、新幹線に乗る直前に電話が鳴って。電話は産婦人科の先生からで、「検査の結果をお話しするので、病院に来てください」と。東京駅の人混みのなか、周りの雑音もあったので少しは気が紛れたのですが、子宮頸がんを告げられた「20年前と同じ感覚だ」と直感で思いました。

 

── その予感が的中してしまったんですね。

 

希良梨さん:結果は電話では伝えられないとのことだったので、旅行後に病院に伺うことになりました。旅行中も気が気ではなく「きっとどこか悪かったんだろう、でもこんなに元気だし、それほど悪くはないんじゃないのかな」と葛藤していました。

 

病院では、先生から子宮頸がんだということが告げられました。「やっぱり」という気持ちと、まだ信じられない気持ちとどちらもありました。大きな病院に移るための紹介状を書いてもらい、そこからはすごいスピードで物事が進みました。がんを切除するための手術の予定が決まって、およそ7時間に及ぶ手術をして。手術のあと、目覚めたのは2日後でした。ものすごい痛みで起きたのですが、帝王切開で息子を産んだときと同じような痛みを思い出しました。