わずか1年で卒婚を卒業「感じた妻のありがたみ」

── 卒婚生活はどのくらい続いたんですか。

 

清水さん:近くに子どももいるし、妻は俺と離れていても楽しく暮らしていたと思う。だから俺も安心して長野で暮らせていたんだけど、そんな生活を1年くらい続けていたら、ちょくちょく東京に帰ってくるようになって、元の生活とあんまり変わらなくなった。妻があるとき、「お父さん、これじゃ卒婚にならないね」と言って、「ほんとだね」って。妻が気づいてくれたのがきっかけで、自然な形で元に戻った。

 

清水アキラさんと息子の良太郎さん
息子・清水良太郎さんと一緒に親子でショーを行うことも

── やってみたいことをしてみるのは大事ですね。

 

清水さん:そうそう、田舎暮らしをしてみたかったから行ったんだけど、やっぱり違うと気づいた。こうなる場合もあるから、あんまり最初から勝ち誇ったこと言わない方がいいね。俺からは「ちょっと離れてみるのはどう?」っていうくらいの提案で、妻も「そんなにやりたいなら行ってみたら?」と。家に帰ってきたあとも、特になんも言われないね。

 

── 気づきが多い「卒婚」になりましたね。

 

清水さん:ひとりは何をしてもつまらないということがわかった。長野で別々に暮らすより前、今から14〜15年前に、仕事で1年間、東京を離れて箱根に住んでいたことがあってね。それは妻も一緒に行くと言ったからふたりで生活していたんだけど、毎日おもしろかったよ。年季が入った旅館を小ぎれいにして、新しい障子を張って。毎日温泉に入って、毎日絵を描いて。翌年に個展も開いた。振り返っても充実していたと思う。

 

老後はさ、ハワイがいいとか、マレーシアがいいとか、国内でもここに住むのがいいとか話には聞くけど、年なのか、もうどこかに行きたいとは思わなくなった。それに、妻が一緒ならいいけど、ひとりでは絶対どこにも行きたくないね(笑)。それもやってみたからわかったこと。夫婦一緒にいることの大事さがわかったよ。

 

 

結婚生活47年の清水アキラさん。「若いころのように口ゲンカをすることもない」と話す現在は、お互いに「気づかいはしても気苦労はない関係」だと話します。熟年離婚の話題を振られることが多いそうですが、「離婚に熟年も何もない」と断言。その背景には、「結婚という約束は簡単に破るわけにはいかないし、破りたくない」という強い思いがあるからだと教えてくれました。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/清水エージェンシー