病名を告げられても後悔はなかったのは…

藤井瑞希
現在はテレビの試合解説でも活躍する藤井瑞希さん

── 病院で再生不良性貧血という病名を告げられたときはどんな気持ちでしたか。

 

藤井さん:最初は白血病の可能性があると言われていたんです。または同じような血液の病気のどちらかだろうと。驚きはありましたけどショックよりも「来週の仕事どうしよう」という心配のほうが大きくて。先生にも「仕事もできないってことですか?」「(実家のある)熊本に帰れないということですか?」と聞いていたくらいです。自覚症状は1、2か月前からだったので、病気だったとしても初期だろうというどこか安心感もあったんですよね。ですから特に怖さとか後悔みたいな感情はなかったんです。

 

── ご家族にはどのように報告されたんですか。

 

藤井さん:母と姉は100%心配するから私からは言えませんでした。かわりにマネージャーが家族に伝えてくれたんです。後日、母や姉と一緒に病院にもいきました。そのときに2人には自分の人生に後悔はないという話をしたんです。もちろん亡くなってもいいという意味ではなく、これまで一生懸命生きてきたから後悔はないという意味だったんですが、母からは「そんなこと言わないでよ」「後悔とか言わないで」と泣かれてしまって。治療もちゃんとするし、生きるからと伝えたんですが、最初はちょっとした認識のズレはありましたね。

 

── お話を伺っていると藤井さんはショックを引きずらず前向きにとらえるタイプだと感じました。

 

藤井さん:病気に限らず何ごとにおいても「起きたことは変わらない」という考えです。日ごろからやることはすべてやり尽くしたと思えるように準備したり考えて行動するタイプですね。たとえば病気に関しても、年に1度の人間ドックは必ず受けていましたし、体調不良のときは病院をすぐ受診していました。これ以上、気をつけることはできないというくらい注意していました。

 

決して諦めるわけではないですけど、どこか仕方ないと思えるところもあったというか。だからこそ、再生不良性貧血だと宣告されたときも、ここからどう治療していくのか、治すために頑張るしかないというマインドに切り替わっていましたね。このスタンスはこれからも変わらないと思います。