病気が判明して1週間でとった行動は

── 病名が判明した後はご自身でもメディアや人などから情報を聞いたり調べたりしましたか。
藤井さん:どんな病気なのかを少し調べたりはしましたが、あまり詳しく知りすぎて情報過多になると逆に恐怖心が強くなってしまったり迷いが出ると思ったので、基本的には先生のお話をしっかりと理解して、それを守るというスタンスで向き合っていました。
たとえば「外に出ないでください」と言われていたので外出しなかったですし、工事現場の近くはカビや菌が飛んでいるので避けるように言われていたので、ちょっと大げさですが息を止めて歩いたりしていました。ちょうど診断されたころは新型コロナウイルスが流行っていた時期。感染すると重症化する体の状態だったので感染対策はかなり徹底していましたし、医師からも気をつけるようにと強く言われていましたね。
── 入院はされたのですか?
藤井さん:血小板の数値が基準値を下回ると入院が義務づけられていたんですが、少し上回っていたので入院は回避できたんです。実は、先生からは「入院と通院どちらがいいですか」と選択肢をいただいたんです。私はどうしても入院したくなくて、「(入院は)絶対に嫌です」と即答しました(笑)。ただ、その後も数値が基準を下回ったら入院だと言われていて。さいわい、現在に至るまでその数値はすべてクリアして入院を回避できています。
── 自宅の環境にもかなり気をつかっているのではないでしょうか。
藤井さん:家のカビや空気中のホコリなども感染リスクが高まる要因になると言われていて。目に見えない菌に感染するかもしれないという恐怖はありましたし、細心の注意を払っていました。実は病気がわかって1週間後に引っ越ししたんです。周囲には病気でしんどいときに引っ越しするなんて信じられないと言われましたが、いつまで続くかわからない闘病生活だったので、より快適な空間を整えておきたかったんです。病院の待合室で住宅情報誌を見て引っ越し先を決めたりして(笑)。
それも今、考えると心を保ったり、気を紛らわせたりするためだったのかもしれませんね。医療が進歩してきているとはいえ、白血病と聞くと「不治の病」というイメージがいまだにあって怖かったですから。
── その後しばらくはどのようなことに気をつけながら生活されていたんですか。
藤井さん:4か月間ぐらいは家にこもっていました。2023年に入って少し暖かい気候になってインフルエンザや風邪のリスクが減ってからは少し外に出られるようになりました。いつも以上に部屋の掃除に気をつかうなど、環境にはすごく注意していました。公共交通機関は使わないし、友達と会うことも制限しました。
1月下旬には解説の仕事に復帰したんですが、当初は実況の人とは違うブースにしていただき、友人や家族と会うときは事前に2、3日ほど飲み会を控えてもらうなどの気づかいをお願いしていました。感染リスクを下げるためとはいえ、当時はちょっと心苦しかったですね。
── ご自宅にいらっしゃる間はどのように過ごしていたんですか。
藤井さん:当時は大学院に通っていてフルリモートで授業を受け、課題に取り組んでいました。自宅でやることは意外と多かったんですよ。でも逆に何もやることがないよりは、それぐらい忙しくてよかったです。性格上、常に何かに取り組んでいたいタイプで、1日中何もしないという日はほぼないし、予定がなければ意図的に作っています。何かしていないと「サボってるな」と思ってしまうタイプなんですよね。
── 薬の副作用などはなかったのですか。
藤井さん:今は少し減りましたが、1日10〜12錠くらい薬を飲んでいて口の中が腫れて口内炎になって食べられない時期もありました。それがいちばんきつかったかもしれません。
── 藤井さんはどのように病気と向き合っていこうと考えていますか。
藤井さん:私と同じような病を患っているお子さんを持つ親御さんなどからときどきSNSのDMでメッセージをいただくことがあるんです。自分としては日記を書くくらいのつもりで投稿していたんですけど、私がそういう方々の希望になっているということを知って。そういう方々に少しでもいい影響を与えられたらうれしいですね。
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「再生不良性貧血」について積極的に普及活動を続けている藤井さんですが、病気を通して人生に対するスタンスが変わったそう。現役時代はオリンピックの目標に向け、逆算して物事を考えていましたが、この病気を患ってからは毎日をひとつずつ積み重ねていくようになったと言います。そうしたマインドのもと、病気と闘いながら、今年からはバドミントン日本代表女子ダブルスのコーチにも就任され、後進育成に力を注いでいます。
取材・文/石井宏美