30年前以上に買った筆やすずりを今も

── 2005年の東京書作展では「内閣総理大臣賞」を受賞されています。
松村さん:あれは、書家の登竜門と呼ばれる賞で、ようやくスタートラインに立ったという感じです。そこからが本当の勉強の始まり。だから書家を名乗るなんて、まだまだおこがましいです。ただ、賞金が100万円だったんです。これは大きかった(笑)。高級な作品用の半切紙は1枚3000円ほどするんです。50枚書いたので15万円、筆も純羊毛の良質なものになると20、30万円もする。100万円があっという間に消えました。
先生方には「きみたちはまだ腕がないんだから、道具に助けてもらいなさい」って言われて、いいものを薦められるんです。「高いものを買わされて、騙されているに違いない」なんて最初は思っていました(笑)。ただ、30年前以上に買った筆やすずりが今でもしっかり使えるので、「本当だったな」と実感しています。
── 書家としてはどういった活動をされているのですか?
松村さん:たとえば、毎日新聞の「気流」の題字や、ドラマ『新・細うで繁盛記』のタイトル、演歌歌手・川中美幸さんのCDタイトルなど、いろいろな作品に関わらせていただきました。毎年行われる産経新聞社主催の「産経国際書展」では、中山秀征さんらと並んで特別出展枠に参加させてもらっています。
── 書いているときは、どんな感覚なのでしょう?
松村さん:無心ですね。200字ぐらいの作品なら、1時間くらいかけて、墨をするところからゆっくり始めます。墨を荒くすってしまうときって、たいてい心が乱れているんです。書には、自分の心の状態があらわれるんですね。自分との対話であり、闘いでもあります。
でも、いい作品ができたときって、自分でも「ザワザワ」とした手ごたえがあって、自己肯定感が上がるというか、自信が湧くんですよ。芝居では、そうした感覚はなかなか得られないんです。
── 意外でした。そんなベテランの松村さんでも、手ごたえがつかめないことってあるのですね。
松村さん:演技って、どこまでいっても「これが正解」というものがなくて、手ごたえがつかめないんですよね。「今日はいい感じだったな」と自分で思った公演に限って、お客さんの反応がいまひとつだったり。その逆もあります。どうやら「役者あるある」みたいですね。
演じるときは、役の自分と、客席から冷静に見てる自分、俯瞰で全体を眺める自分の3つの目がないと成立しない。気持ちが先走ってもダメだし、理屈だけでは心に響かない。そのバランスが難しくて、45年経った今も、正解がまったくわかりません。それに比べると、書道はカタチがあるものだし、手ごたえも感じられる。そういうところにも、惹かれているのかもしれませんね。