祖母の影響でていねいな字を書くことを心がけていた松村雄基さん。30歳から本格的に書を学び始め、2005年の東京書作展では「内閣総理大臣賞」を受賞されますが、書にハマったきっかけは意外なものでした。(全3回中の3回)

衝撃を受けた本の著者に会いに行ったら

松村雄基
小さいころかていねいな字を書いていた松村さん

──『スクール☆ウォーズ』『不良少女と呼ばれて』など80年代の大映ドラマに欠かせない存在だった松村雄基さん。現在も俳優として多方面で活躍しながら、実は「書家」としての顔もお持ちでいらっしゃいます。そもそも書を始めたきっかけはなんだったのでしょう?

 

松村さん:30歳のとき、ある本に衝撃を受けました。大溪洗耳さんという書家の著書『続・戦後日本の書をダメにした七人〜くたばれ日展』です。日展といえば、芸術の最高峰ともいえる舞台のひとつなのに、書家の大家が「くたばれ」と真っ向からケンカを売っている…そのインパクトに心をわしづかみにされ、思わず手に取って読んでみたら、これが、実におもしろくて、一気に引き込まれました。本の著者に会ってみたい。そう思って、教室を訪ねたんですね。

 

── 書をやってみたいというよりも、本のおもしろさに惹かれ、著者に会いに行った、と。

 

松村さん:そうでしたね。ただ、小さいころから書には興味があったのも事実です。育ててくれた祖母からは「字はていねいに書きなさい」と言われて育ち、雑に書くと何度も書き直させられましたし、高校時代には、選択授業で書道をとっていました。

 

実際に著者に会いに行ったら、本人ではなく女性の先生が出てきて、「体験でちょっと書いてみましょう」と言われたんです。それが、今もお世話になっている五月女紫映先生でした。書道は高校でひと通りやっていたし、少しは自信もあったのですが、それがもろくも崩れました。

 

── どんな体験だったのですか?

 

松村さん:最初に書かされたのが、半切という縦長の大きな紙に2行の字を書く課題でした。紙は横約35センチ、縦135センチ。そんな大きな紙に書くのなんて初めてで、どう扱えばいいのかわからない。先生は「最初は墨をたっぷりつけて、はい、なくなったらもう一度。はい次の行」と、どんどん進んでいくんです。書道って、もっと静かに精神統一して取り組むものだと思っていたので、そのテンポに圧倒されました。

 

いざ書いてみたら思ったようにいかなくて。墨をたっぷりつけたらにじんで読めないし、逆に墨がたりないと筆がかすれて、まるでほうきで書いたような線になってしまい、全然、納得がいかない。あまりの不甲斐なさに悔しくなって、思わず「入会します!」って言っちゃったんです(笑)。

 

著者に会いに行ったはずが、いつの間にか門を叩いていて。そこから、書への道のりが始まりました。