夜中に1時間おきのトイレにつき添って

── 在宅介護で印象に残っている出来事はありますか?
松村さん:トイレが間に合わず、床が排泄物で汚れてしまうことがよくありました。ぐったりとうなだれる祖母を見ると切なくて、早くきれいにしてあげないという気持ちでいっぱいでした。
── 介護をしていると、心に余裕がなくなることもあります。そんな中でも思いやりの気持ちを忘れずにいられたのはなぜでしょう。
松村さん:夜中に何度もトイレで起こされて結局、出なかったときなどは「いい加減にしてよ…」とつい言ってしまうことがありました。でも、昔気質でプライドの高い祖母にとっては、失禁なんて耐えられなかったはずです。だからこそ、何度もトイレに行こうとするんですよね。
その気持ちを考えると、怒る気にはならなかったです。1時間おきくらいにトイレに起こされるので、夜は僕、叔母、叔父の3人で交代制にして、自分の担当日はひと晩中眠らずにつき添っていましたね。
── 撮影現場などで、介護のことは話していたのですか?
松村さん:ごくわずかな人にしか言っていませんでした。撮影終わりに食事に誘われても「今日は泊まりの当番だから」と断っていたので、不思議に思われていたでしょうね。ただ、叔母に祖母のお世話を頼み、友達と飲みに行くことはありました。
── おばあさまの在宅介護を始めて約10年後、特別養護老人ホームへの入所を決断されたそうですね。
松村さん:本当は行かせたくなくて、ずいぶん葛藤しました。でも、症状が悪化して寝たきりになり、じょくそうを防ぐために数時間ごとに体位を変えたり、おむつ交換をしたりしなければなりません。便秘で便が出ないときは、肛門に指を入れてかき出すこともありました。
認知症も進み、「あめが欲しい」と言うので渡すと1袋全部食べようとする。喉に詰まる心配があり、「もう終わりね」と言うと「食べてない!ちょうだいちょうだい!」と叫んだり。思わず声を荒げてしまい、そんなときは決まって自己嫌悪に陥りました。穏やかなときもあるのですが、怒り出して暴れることも。あんなに凛としていた祖母が変わっていく姿を見るのはやりきれなかったですね。
僕も叔母たちもだんだん限界に近づいていました。余裕がなくなると祖母にも優しくできなくなってくる。それはよくないと感じて、僕から祖母に施設に入ってもらえないかと伝えました。
── どんな反応だったのでしょうか?
松村さん:「いいよ。おばあちゃん、行くよ」と笑顔で言ってくれたんです。そのときはいたって普通の様子でした。きっと負担をかけて申し訳ないという気持ちがあったのでしょうね。その言葉に救われた反面、祖母の気持ちを思うとせつなかったです。
でも、結果的にはそれでよかったと思います。離れて暮らすことで、もう一度やさしい気持ちで接することができるようになりました。特別養護老人ホームには3日に1度通い、2、3時間一緒に過ごしていました。祖母は介護士さんの腕を引っかいたり、噛みつくような素振りを見せることもありましたが、僕の言葉だけはちゃんと伝わっていて、「ダメだよ」と言えば、すっと収まるし、会話もできたんです。
── 特養での暮らしが10年続き、88歳でおばあさまは旅立たれたそうですね。
松村さん:仕事で地方にいるときに祖母の訃報を受け、朝いちばんの飛行機で戻りました。通夜の間は祖母のそばに寄り添い、亡骸に向かって「聞いていてね」と語りかけ、翌日に控えていた舞台のセリフを練習し、「行ってくるね」と別れを告げました。悲しさもありましたが、祖母もようやく安らげたのだと、ホッとした気持ちが強かったです。
── 長く続いた介護生活を振り返って、今どんなふうに感じていますか?
松村さん:やれることはやったので悔いはありません。祖母と一緒に過ごせて幸せだったし、祖母もそう思ってくれていたんじゃないかと思います。