「トイレが間に合わず、床が排泄物で汚れてしまうことがあった」と、当時の様子を振り返る俳優の松村雄基さん。ふたり暮らしで自分を育ててくれた祖母の介護が18歳のときに始まります。認知症もどんどん進行していき── 。(全3回中の2回)
「おばあちゃんが脳梗塞で倒れた」

── 家庭の事情で生まれたときから父方の祖母とふたり暮らしだった松村雄基さん。その後、18歳から20年間に渡って祖母を介護したそうですね。介護生活が始まったのはデビューの翌年でしたが、どんな状況だったのでしょう?
松村さん:当時、僕は高校3年生でした。その日は、翌日から1週間の地方ロケだったので「洋服を洗濯しておいて」と祖母に頼んで学校へ向かいました。帰宅すると近所に住む叔母から「おばあちゃんが脳梗塞で倒れた」と聞かされたんです。洗濯中に具合が悪くなったらしく、「僕のせいだ…」と悔やみました。
結局、入院はせず、リハビリをしながら在宅介護をすることに。叔母や事務所の社長の協力で翌日からの地方ロケは予定通り行きましたが、そこから介護と芸能の仕事の三重生活が始まりました。
── おばあさまのご容体は?
松村さん:言葉がもつれて、足腰が不自由になり、歩行やトイレに介助が必要になりました。当時、住んでいた東京・大塚の都営アパートには風呂がなかったので、300メートル先の銭湯まで祖母をおんぶして連れて行っていましたね。部屋が4階でエレベーターがなく、いい運動になりました(笑)。ちょうど『スクール☆ウォーズ』に出演していたころです。
── 介護が続くなかで、認知症の症状も現れてきたそうですね。
松村さん:23歳くらいのころですね。都営アパートからマンションに引っ越し、祖母と暮らす部屋とは別に、違う階に仕事部屋を借りていました。ある晩、仕事部屋にいたら警察から「祖母を保護している」と連絡があったんです。僕を探すうちに非常階段に出て戻れなくなり、近所の方が気づいて通報してくれたようです。それ以前から僕の名前を間違えることがあり、振り返ると兆しは出ていたのかもしれません。
── 当時、多数の大映ドラマに出演されていました。多忙な仕事と介護をどう両立されていたのでしょうか?
松村さん:叔母の家族と同居するようになり、交代で介護をしていました。昼間は叔母が祖母のめんどうを見て、夜は僕が交代。当時、始発で現場に向かい、終電で帰るようなスケジュールで睡眠時間はほぼなかったのですが、「つらい」と感じた記憶は不思議とないんです。不良役で、毎日大声で怒鳴ったり、人を殴るようなシーンが多く、暴れれば暴れるほど監督にほめられる。それがストレス発散になっていたのでしょうね(笑)。
家では祖母の横でセリフの練習をすることも。不良役なので罵倒するような言葉ばかりで、礼儀作法に厳しい祖母から「そんな子に育てたつもりはない」と最初は叱られました(笑)。それでも、ドラマは毎回楽しみにしてくれていましたね。