仕事が月1本に減っても落ち込まなかった訳

── アイドルグループ・CHA-CHAは、当時とても人気がありました。

 

勝俣さん: とにかく忙しかったですね、休みは年に1日あるかどうか。でも、解散したとたん、仕事が月に1本くらいに激減してしまいました。ただ、そのときはむしろうれしかったんです。彼女とディズニーランドに行ったり、おいしいラーメンを食べ歩いたり。忙しくてできなかったことを思いきり楽しんでいました。

 

「どうせ行くなら」と、ディズニーについて徹底的に調べて、待ち時間にうんちくを披露したら彼女がすごく喜んでくれて。訪れたラーメン店でも、大将に話を聞いたりしてデータをノートに記録して貯めていたんです。そうしたら、その後、ディズニーブームとラーメンブームが来たんです。それから仕事が一気に増えて、超ラッキーでした。

 

── 落ち込むどころか、切り替えて楽しむ。発想の柔軟さが勝俣さんらしいですね。芸能界にはどうしても浮き沈みがあります。その波と、どう向き合ってこられたのでしょう?

 

勝俣さん: 芸能生活のなかではいいときもあれば、沈むときもやってくる。そのとき、どう過ごすか、どんな準備をしておくかが大事だと思うんです。右肩上がりの人生なんて、どんな職業でもありえませんから。ケガや病気、環境の変化など、人生には困難がつきもの。立ちどまらざるを得ない瞬間が誰にでも訪れます。だからこそ僕は、いざ困難に巻き込まれた時にどう過ごすかをつねに考えていました。

 

欽ちゃんをはじめ、尊敬する先輩たちが口をそろえて言っていたのが、「タレントというのは、ひとりでいるときに何をしているかで未来が決まる」ということでした。つまり、準備した蓄えが未来を決めるということです。

 

── 重みのある言葉ですね…。実際、勝俣さんはどんなふうにその時期を過ごされていたんですか?

 

勝俣さん:だからいまでも、僕はノートを書き続けているんです。ネタ帳のノートにグルメや他ジャンルにまつわる情報を書き込んだり、詩も書いています。 芸能界の先輩や一般の方々、そして、飲食店の人たちから聞いた心に響く話や言葉も書きためています。30年以上の時間が詰まったノートは、僕にとってかけがえのない財産ですね。「いずれ子どもに譲ろうかな」と思っていたんですが、「いらない」って言われちゃって(笑)。だからいまは、大事に活用してくれる後輩に託そうか、なんて考えたりします。

 

最近は、ノートに書きためたエピソードを講演会などでお話しする機会が増えてきました。40代のころまではそうした場に呼ばれることはあまりなかったのですが、年齢を重ねたことで、温めてきた素敵な話をようやく皆さんに届けられるようになってきたことが、とても嬉しいです。