障害のある弟をもつ「きょうだい児」の立場である弁護士の藤木和子さん。司法試験に合格し、弁護士として就職する際、エリートコースか本当に自分のやりたいことの間で悩んだと言います。さらにその後、待ち受けていた結婚のハードルとは。(全3回中の2回)
エリートコースと「きょうだい」の仕事で悩んだ末に
── 弁護士を目指して東大法学部に進んだ後、他学部への転部を考えたこともあったそうですが、どんな葛藤があったのでしょうか。
藤木さん:当時は「きょうだい児」という言葉も概念もまったく知らなかったので、自分の苦しさは、女性であるがゆえなのかなと思っていました。当時、東大には上野千鶴子先生がいらしたので、上野先生のもとでジェンダーを学べる文学部に転部を考えたんです。大学2年のときに3か月だけ、上野先生のゼミに入らせていただいて。自分の跡を継いで弁護士になることを私に望んでいた父に「転部したい」と言ったら大反対されましたが、いざ転部を勝ち取ったら、気持ちが落ち着いてしまった。やっぱり法学部に戻って資格を取ったほうが、学んだ内容を生かすにしても有意義なのではと考えて、1年留年して法学部に戻りました。今思うと、ジェンダーやフェミニズムって、きょうだいの問題と重なるところがあるなと。
──どういう共通点があると思われますか。
藤木さん:目に見えにくかったり、主張しにくい部分や、自己犠牲を強いられがちな点が似ていると感じます。「きょうだいなんだから、障害のある兄弟姉妹の世話をするのも、自分のやりたいことを諦めるのも当たり前」とか、本来当たり前ではないのに、そう思い込んでしまう方もいます。
── その後、27歳で司法試験に合格し、晴れて弁護士に。都内の大手法律事務所と弁護士であるお父さんの個人事務所、どちらで働くかという選択肢で迷われたそうですね。
藤木さん:障害者関係の仕事に関わりたいという気持ちが強かったものの、東大の法科大学院にはやはり、大手法律事務所の内定を取らなければという意識があって、それに自分も挑戦したい思いがありました。内定をいただけたのですが、町弁(個人で開業し、主に地域住民からの依頼を受ける弁護士)の父からしたら、「そんなのは弁護士じゃない、会社員だ」って言われて。
すごく悩んで、いちばんもがいていた時期かもしれません。障害者関係の弁護士に自分からアプローチして会いに行ったり、中学のときに講演を聞いた東大の教授で、全盲ろうの福島智先生にいきなりメールをして相談したり。きょうだい児の当事者が集まる「きょうだい会」にも駆け込みましたし、とにかくいろんな方の意見を聞きました。
── 悩みの深さが伝わります。何が決め手になりましたか。
藤木さん:大手法律事務所の面接では、弟の障害の話は求められてない話題だと感じて。なぜ弁護士になったのかというストーリーの中に、弟の障害の話が入ってないと、私の中では絶対に成立しないのだけれども、面接では言えなかったんです。一方で、障害者の分野の弁護士の先生たちには洗いざらい話せて受け止めてもらえましたし、先生方がみなさん明るく、楽しく、信念を持って活動されているのも清々しくて。結果的にきょうだい児の活動をしていくための時間的な自由も確保できる父の事務所を選びました。
── 大手法律事務所に入れば、いくらでもキャリアを積めそうですが、藤木さんとしては、きょうだい児であることが人生の核にあったのですね。
藤木さん:そうですね、きょうだい児に関する仕事をすごくやりたいと思ったので。ひとまず1年は大手法律事務所で働くという選択肢もありましたが、激務をこなすのは私には無理だと思いました。