最初は「生活委員会」のようだった

── 今ではアイドルを輩出する芸能事務所として知名度もありますが、どうやって立ち上げたのですか。

 

樋川さん:
いざ始めると言っても、芸能関係の経験もないので、全部ボランティアの仲間を募りました。知人を通して、ダンスや歌の経験者を探して。お金もないので、洋服店の店長に頼んで、季節外れの棚卸し商品を年に何回か段ボールでもらって、そこからステージ衣装を選ぶ。CDのジャケットや宣材写真は、青年会議所の繋がりで、写真館の社長に5〜6年くらい出世払いで撮ってもらっていました。

 

イベントの当日は、美容室をしている知人に頼んで、ヘアメイクをしてもらって。スタッフも全員ボランティアでした。今では曲を作ってくれるツテもありますが、最初は私が作詞作曲も手がけていました。FMのパーソナリティーや司会業をしていた妻が今も育成担当をしてくれています。

 

りんご娘。
今年4月からメンバーが入れ替わった新生りんご娘<左からスターキングデリシャス、金星(3代目)、はつ恋ぐりん、ピンクレディ>

── いざ運営を始めてみていかがでしたか。

 

樋川さん:
りんご娘の前に、ねぷた娘という50人規模のグループがあったのですが、当時パラパラが流行っていたので、イベントでパラパラを披露したんですけど。メンバーのなかには夜な夜なクラブで踊ったり、髪も茶髪や金髪のいわゆるヤンチャな子たちもたくさんいました。昼間に活躍の場を与えることから始まったんです。

 

── アイドルを誕生させている現在の弘前アクターズスクールのイメージとはまったく違いますね。

 

樋川さん:
もちろん最初の野望は、「紅白に出て、青森県民を嬉し涙で感動させたい」とか「こんな田舎でも夢を叶えられるということを証明したい」と思ってスタートしたんですけど、来た子たちのなかには歌もダンスも下手なのに、練習を無断でサボったり、返事や挨拶すらできなかったりする子もいました。また、学校で問題が起きると、私がいつも謝りに行っていました。

 

もう、売ることよりも何よりも、この子たちを人として社会に通じるようにしないと、と思って切り替えました。ちゃんとしたステージを用意する代わりに、挨拶から始まって時間やルールを守るとか、社会的な違反はダメだという教育から始めました。

 

私も働きながらやっているので、自分が学んできたビジネスマナーも投入して、一般常識を身につけさせようと、もう生活委員会のような感じです。

 

小学3年生から大学生、専門学校生までが所属する弘前アクターズスクール

あんまり大きな声では言えないですけど、オーディションに来た子で「うちで救わないと」と思う子は過去に何人も採用してきました。家庭環境に問題がある子もたくさん見てきましたし、精神的に愛情不足な子もいました。

 

でもそういう家庭環境の子ほど、自分で努力を重ねれば、大成することも多いんです。今は当時のように素行の悪い子はいないんですが、コロナ禍もあって自己表現が苦手な子が多いように思います。

 

── 弘前アクターズスクールは小学3年生から、地元の子たちが所属できるそうですね。

 

樋川さん:
私は、基本的に高校卒業までは東京に行くのは反対です。今でも田舎の子たちがスカウトされて、早くから東京に行っている子もいますが、成功しているのはほんのひと握り。

 

メンタルの部分が大切な業界だと思っているので、まだまだ心が整わない状況で親や兄弟、友達から離れて行くのは早いと思っています。18歳までは自然豊かなところで、普通の学校生活を送りながら、部活のような感じで、夢がある子たちの踏み台になれたらいいなと思って始めました。

 

高校を卒業してステップアップしたいなら、そこから東京に行けばいい。青森に生まれたからといって芸能界は無理だと諦めてほしくなかったんです。