撮影/Jerzy Latka

 

ウクライナから避難した方が生活する避難所に、紙管と布で作る間仕切りを設置する活動をしている日本人がいます。建築界のノーベル賞とも言われる「プリツカー賞」なども受賞した建築家の坂 茂さん。いち早く現地入りし、所属団体や現地ボランティアの方と協力し500セット以上を設置してきた坂さんに話を伺いました。

坂さんが見た避難所の様子は

── 坂さんは、1994年にルワンダ難民キャンプに紙管のシェルターを設置し、その後も阪神・淡路大震災や、東日本大震災でも避難された方に支援を行っていると伺っています。今回は、311日からポーランドの避難所で間仕切りの設置を始めたそうですね。

 

坂さん:

実際に私が設営に当たったのはウクライナとの国境から25kmのところにあるポーランドのヘルムと、フランス・パリの避難所です。このほか、ボランティアスタッフがウクライナ、スロバキア、ポーランドの他の場所で設営を行いました。

ポーランド・ヘルムの避難所でウクライナから避難してきた女性と坂さん(写真左から2番目)撮影/Jerzy Latka

 

── 行動に移そうと思ったのはいつ頃でしょうか。

 

坂さん:

3月に入ってすぐ、難民の方が近隣諸国に押し寄せている映像をテレビで見まして、そこから行動を始めました。とにかく緊急時はスピードが重要だと思っています。

 

── 間仕切りを設置したあと、避難してきた方の反応はいかがでしたか。

 

坂さん:

間仕切りができてやっとゆっくり眠れたと、皆さんとても喜んでくださいました。ウクライナの男性は国で戦わねばならないので、避難所にいるのは女性と子どもが中心です。

 

ウクライナから避難し、ポーランドは中継点でそこからヨーロッパ諸国に行かれる方が多いのですが、数日間その場に寝泊まりするだけでも間仕切りがないとゆっくり眠ることができません。

ポーランド・ヘルムの避難所に避難してきた母親と子ども 撮影/Jerzy Latka

 

設営するスタッフから聞いたのですが、間仕切りが設置された空間に入ってから、突然泣き出した女性がいたと伺いました。小さな子どもを連れて、鉄道や車を使って人目にさらされながら避難している間は、緊張して泣くことすらできなかったのではないかと。やっとプライベートの空間ができて、気持ちがリラックスしたのだと思います。

 

特に女性はプライバシーへの懸念から避難の際には大変な思いをしています。東日本大震災や熊本地震の際も、人目を避けて車中泊をしたことでエコノミークラス症候群を引き起こし、直接の地震や津波被害ではなく「震災関連死」として亡くなった方がいました。避難所ではプライバシーがないと眠れません。プライバシーというのは人権上、最低限必要なことだと思っています。

パリ市内の避難所に設置した間仕切り 撮影/Voluntary Architects' Network

 

── 東日本大震災などでも設置した間仕切りは、どの国でも手に入れやすく設置が簡単な紙管と、布で作られているそうですね。

 

坂さん:

今回、間仕切りに使う紙管や布は、現地の企業や団体、官公庁などが寄付してくださいました。紙管を作る事業者は、自分達の製造を止めてまで我々のものを作ってくださるなど支援をしてくださり、今回のウクライナの問題に関しては個人も企業も真剣に考えているのが伝わってきます。

坂さんが考案した紙管。現地調達しやすく、軽いため設置も簡単だという 撮影/Voluntary Architects' Network

 

紙管自体も2度目、3度目とリサイクルされているものから作られています。使用後はまたリサイクルすることもできますので、再生紙としてノートになるかもしれませんし、また紙管になるかもしれません。そのまま備蓄することもできます。

 

布は備蓄するのがいちばんだと思いますが、熊本地震のときは、仮設住宅でのれんを作るなどして再利用もされていました。

紙管を作るボランティアスタッフ 撮影/Voluntary Architects' Network

考えておくべき非常時への備えとは

── 訪れた避難所の様子はいかがでしたか。物資などは足りているのでしょうか。

 

坂さん:

物資の不足はありませんでした。倉庫も見に行きましたが、各国から送られてくる物資が積み上がっていました。物資を送るだけでは緊急時はうまく行かないと思います。自分で直接届けるにはいいのですが、ただ送るだけでは避難している方に届けることは難しいと感じています。

 

ポーランドの避難所には、ペットの場所、子どもが遊ぶ場所、すべて完備されていて食事をするスペースもありました。

避難所内の子どもの遊ぶスペース 撮影/Voluntary Architects' Network

 

── 日本で災害などが起きた場合の避難所では、寝食は同じ場所でするのが一般的です。

 

坂さん:

日本の避難所は食事が配られて自分の場所で食べますが、衛生的にも良くないですし、食事の楽しみ、人との団欒をする場所が確保されていません。まだまだ日本の避難所にはいろいろな面で課題があります。

 

例えば地震災害の多いイタリアでは、避難所には寝る場所とは別にテントを張って食事のスペースを作り、キッチンカーや料理人が来て毎食温かい食事を出しています。また、避難所を運営するスタッフもしっかり教育されています。日本では災害が起きるとその自治体の職員が避難所の設営や運営を行いますが、彼ら自身も被災者です。

ポーランド・ヘウムの避難所にはヨーロッパ中から支援物資が届く 撮影/Voluntary Architects' Network

 

イタリアの場合は平時に人を集めて教育を行い、実際に災害が起きた場合には給料も払うなど、非常時への準備がきちんとできています。普段は自分の仕事をしながら非常時にはお手伝いをしたいという意志のある方がきちんとトレーニングを受けていくべきだと考えていまして、今、国に提案しているところです。

 

── 国内外問わず、緊急時に駆けつけている坂さんの原動力はなんでしょうか。

 

坂さん:

目の前に怪我人がいたら、お医者さんだったら診療しますよね。建築家として目の前に住環境で困っている人がいたら、それを改善するのが建築家としての当たり前の仕事で、我々の責任だと思っています。

 

PROFILE 坂 茂さん

1957年東京生まれ。95年から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)コンサルタント、同時に災害支援活動団体ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)設立。プリツカー建築賞(2014)、マザー・テレサ社会正義賞(2017)など受賞。現在New European Bauhausのhigh-level roundtableメンバー、慶応義塾大学環境情報学部教授。

取材・文/内橋明日香