1990年代、オリジナリティあふれるファッションスタイルで「シノラー」ブームを巻き起こした篠原ともえさん。現在は、デザインしたアクセサリーが国際的な広告賞を受賞するなど活躍しています。30代でタレントとデザイナー、どちらを本格的にやるべきか悩んだ篠原さん。40歳の時、本格的にデザインの道に進むべく、事務所を独立。決断を後押ししたものとは──。
デビューの頃と今の篠原ともえは自然な繋がり
── 現在はデザイナーとして活躍されていますが、そもそもアーティスト活動を始められたのはいつごろからですか?
篠原さん:高校在学中の1995年に歌手としてデビューしたのがスタートです。
ただ、デザイン専門学科のある高校だったので、衣装やアクセサリーを自分でつくったり、髪型は自分で提案したり。当時から、自分自身がクリエイションするものが表に出ることが、歌と同時にあったんですよね。
── その頃から今の篠原さんは、自然な形でつながっているんですね。
篠原さん:そうですね。当時からバラエティーなら番組を盛りあげたり、ステージで歌ったり、その都度、自分の役割や目的に対して真摯に向き合っていた感じですね。自分では表現の場だと思って仕事をしていました。
── 子どもの頃からファッションが好きだったんですか?
篠原さん:好きでしたね。自分でお人形さんのお洋服を作ったりするところから始まって、中学校になるとファッション雑誌やテレビのファッション通信を見て、デザイナーさんの名前を覚えたり、独学でお洋服を作ったり。
高校はデザインは学べたものの縫製などを学ぶファッション学科がなかったので、大学はファッション学科のあるところに行こうと決めていました。デザインの道を歩む人生を送りたいと思うのと同時に、デビューして表に出る仕事にもすごく喜びを感じていたものですから、いつも夢が同時進行で動いていました。
CM衣装はデザイン画を描いて提案
── 当時ご自身のキャラクターが注目されることで「本当はデザインがやりたいのに」とギャップを感じることはありませんでしたか?
篠原さん:テレビの世界も、ライブの世界も、すごくクリエイティブなんですよね。
スタジオには華やかなセットがあって、番組を作るディレクターさんが、丁寧に構成を考えて作っていらっしゃるし、ライブはその最たるものですよね。舞台監督がいて照明さんがいて、ライブを構成する演出家がいて。
表に出るだけだったら、もしかしたら作ることが好きなので物足りなかったかもしれないんですけど、クリエイティブな場にいられて、自分もアイデアを言えたんですね。
例えば、あるCMでは、摩訶不思議の演出だったので、衣装はランドセルを背負って、うさぎの帽子を被って、と自分でデザイン画を描いて、監督に提案して通ったりもしていました。だから、もの作りを学ばせてもらった場でもあったんです。
── テレビの現場にはいろんなプロフェッショナルがいますよね。
篠原さん:本当にそうでした。積極的に自分から何かを提案することが、仕事を楽しむための力になっていました。
夫と会社を設立、本格的にデザインの道へ
── 最近だとEテレで声優のお仕事もされていますよね。うちは子どもが小さいので、『みいつけた!』には毎日お世話になっています。
篠原さん:ありがとうございます(笑)。もう10年以上続く人気の子供番組で、私はレグというキャラクターの声を担当しています。
── 現在はそういった表に出る仕事と、デザインの仕事とのバランスはどうされているんでしょうか? 2020年に会社を設立されたと伺っています。
篠原さん:会社の設立は、デザインの仕事にシフトチェンジさせる意味合いが大きいです。芸能事務所ではなく、デザインを中心にクリエイティブなことを専門にする会社なので。
30代のときにずっとやりたかったデザインの仕事が増えてきました。ただ、表に出る仕事も大好きだったので「どっちを本気でやったらいいのか」、いちばん悩んだ時期だったんですよね。
やるべきことを選ぶためにどちらかを諦めなきゃいけないと思ったんです。デザインをするためには、表に出る仕事を離れなきゃいけない決断に迫られたんですよね。
そこで、ずっと表現をなりわいにしてきましたが、40歳になったタイミングで、夫(アートディレクターの池澤樹さん)と一緒だったらトライできるかもしれないと思い、デザインの道に飛び込みました。
── 思い切った決断だと思うのですが、背中を押してくれたのは、どんなことだったんでしょうか?
篠原さん:うーん、ひとつじゃないですけど…。私は、これまで歌手や舞台、ナレーション、いろんなことをやってきたんですが、主人はデザインを一貫して続けてきた人だったから、作品のクオリティがすごく高かったんです。それが羨ましいなと思って。
いろんなことを続けてくのも一つの手段だけど、ひとつのことを突き進む。それを私もやってみたいという、憧れというか、目標があったのが大きいですね。
<関連記事>
- 「いつか挑戦したかった」篠原ともえ 自身初のホテルユニフォームデザインを星野リゾートが採用
- 篠原ともえ 40代でのキャリアチェンジは過去の自分への”ご褒美”
- ”同志でありライバル” 夫婦で起業 篠原ともえ「いいものを届けるためならぶつかってもいい」
- 篠原ともえ 自分を鼓舞する“おまじない”
PROFILE 篠原ともえさん
文化女子大学短期大学部服装学科ファッションクリエイティブコース・デザイン専攻卒。1995年歌手デビュー。映画、ドラマ、舞台など歌手やタレント活動を経て、衣装デザイナーとしても活躍。2020年、夫でアートディレクターの池澤樹氏とクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立。2022年4月開業の宿泊施設「OMO7(おもせぶん)大阪 by 星野リゾート」ではホテルユニフォームのデザイン・製作監修を担当している。
取材・文/市岡ひかり 撮影/植田真紗美