10代から自分らしくキャリアを重ね、輝き続けている篠原ともえさん。ブームを巻き起こした時代から、不安な時や緊張したとき、自分だけの”おまじない”を唱えて、自身を元気づけてきたそうです。
10代の頃からステージ前に唱えた言葉
──いつも自分らしく輝き続けている篠原さんですが、ご自身で決めているマイルールはありますか?
篠原さん:石岡英子さんという、アカデミー賞を取られている素晴らしいアートディレクターさんがいらっしゃるんですが、その方が、もの作りのときに三つの言葉をマントラのように唱えていらっしゃると最近本で読んだんです。
それが“Timeless” “Originality” “Revolutionary”。不変であって、自分らしさがあって、革命的であること。それが、すごくかっこいいなと感銘を受けたんですね。
実は私も10代のときにすごく緊張したりしたときに、石岡さんのようにつくったマントラがあるんですよ。「自分らしく・自由に・自信を持って」っていう“自”っていう文字が入っている3つの言葉。ステージに出る前や不安なときにマントラのように唱えて、「よし出るぞ」と出て行ったんです。
今ももの作りで「大丈夫かな」と不安になったら、「自分らしいかな」とか「自信持てるかな」と問いかけてみるようにしています。
自分のおまじないみたいなものが、あるといいですよ。
何でもいいんです。「大丈夫」のひと言でもいい。そういうふうに自分を応援する、鼓舞する言葉をたくさん唱えるといいです。
社会性のあるものづくりが自分の役割
──勇気の出るメッセージ、ありがとうございます。これから40代をどう過ごしたいですか?
篠原さん:ブランド戦略や商品デザインなど、いろんなものを自分のアイデアで形にしていきたいなと思います。
これまでデザインという軸でしたが、自分のアイデアで全体の世界観を作るというのを得意な分野にしていきたいです。あとは、会社として、チームとしても強くなっていきたいです。
──サステナブルな分野にもご関心が高いと思うのですが、これに関するビジョンはありますか?
篠原さん:自分のライフワークとして、なるべく捨てる布を出したくないと思い、生地が無駄にならないよう四角いパターンで服を作るということを続けているので、それは自分の物作りの心地良い作り方でもありますし、続けていきたいです。
自分の作るものに社会性を入れて発信していくのは、表に出る人の責務だと思っています。自分が稼働することで、少しでも社会が良くなればいいなというのは意識していますね。
星野リゾートさんのユニフォームをデザインしたときも、ちょうどコロナ禍で、流通が止まっているときだったんです。その時に、工場さんとつながって、雇用が生まれることに自分が携われているんだと気づいたとき「デザイナーって、社会をちょっとだけ盛り上げられる仕事なんだ」と、俄然やる気が出てきたんです。
そういう社会とのつながりは意識していきたいですね。SDGsも取り組みとしてすごく難しい。でも、表に出る私達が積極的に参加していかないと、みんなが踏み込みにくいと思うので、怖がらずに参加していきたいですね。
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PROFILE 篠原ともえさん
文化女子大学短期大学部服装学科ファッションクリエイティブコース・デザイン専攻卒。1995年歌手デビュー。映画、ドラマ、舞台など歌手やタレント活動を経て、衣装デザイナーとしても活躍。2020年、夫でアートディレクターの池澤樹氏とクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立。2022年4月開業の宿泊施設「OMO7(おもせぶん)大阪 by 星野リゾート」ではホテルユニフォームのデザイン・製作監修を担当している。
取材・文/市岡ひかり 撮影/植田真紗美