車椅子開発に没頭し、帰宅は毎日終電に

── その勉強が、ロボットの開発につながったのでしょうか。

 

吉藤さん:最初に作ったのは、ロボットではなくて車椅子でした。養護学校でのボランティアで、車椅子に乗っている子たちと一緒に外出したとき、あまりにも大変で衝撃を受けたのです。道が整備されていないから、車椅子だとすごく走行しにくい。それに、「車椅子に座ると、歩いている人と比べて、こんなにも視点が低くなってしまうのだ」ということも、このとき初めて知りました。

 

「これでは車椅子があっても外出できない。もっと快適に走行できて、見た目もかっこいい車椅子を作ろう」と思いました。通っていた工業高校には実習工場があって、工業機械を自由に使わせてもらえました。先生の指導のもと、先輩や後輩たちと一緒に車椅子を作るのがすごく楽しくて、毎日終電で帰って、朝は6時台の電車で登校していました。

 

完成した車椅子は「電脳車椅子」と名付けました。内部にセンサーを搭載。傾きを感知して自動で車体を水平に保つ機能を付けました。また、タイヤホールに半月型の突起物を取り付け、これが段差にひっかかることで、車道から歩道への段差を上がれるように工夫しました。見た目のかっこよさにもこだわり、車のような曲線ボディに、ヘッドライトやウィンカーもつけました。

 

吉藤オリィ
高校時代に開発した「電脳車椅子」。高く評価され、アメリカの大会にも出場した

先生の勧めもあり、この電脳車椅子を高校生の科学技術コンテスト「JSEC(Japan Science & Engineering Challenge)」に応募することにしました。ただ、大きな問題がありました。審査には10分間のプレゼンテーションが必要だったのです。私は人前で話すのが大の苦手でした。けれど、苦手を克服するために、先生に何度もダメ出しをされながら、一緒に出場する後輩と2人で毎日、猛特訓をしました。

 

その甲斐あって、結果は優勝。「科学のオリンピック」といわれる「Intel JSEF」という大会に出場できることになりました。会場は、アメリカのフェニックスです。そのとき私は17歳で、海外に出るのも、飛行機に乗るのも初めて。そもそも数年前まで学校へ行くこともできなかった自分が「なんでこんなところにいるのだろう」と、夢の中にいるような気持ちでした。

 

── 電脳車椅子は、世界大会でどのように評価されたのでしょうか。

 

吉藤さん:「チーム研究部門」で3位を受賞することができました。受賞したことも嬉しかったですが、それ以上に印象的だったのが、同じファイナリストだった海外の高校生の言葉でした。「自分はこの研究をするために生まれてきた。死ぬ瞬間まで研究をしたい」と。それを聞いて、心底「うらやましい」と思ったのです。そういうふうに思えるのは、生きていくうえで「便利」だな、というか。

 

私はそれまで「なぜ生きるのか」という理由を探し続けていました。小学6年生から中学校の3年間、ほとんど学校に行けなくて引きこもっていた期間はとにかく孤独で、衝動的に「死にたい」と思うこともありました。あのころの自分は「死なない理由」を必死に探していた気がします。その世界がこの言葉で一変。「自分も人生をかけて取り組めるテーマを見つけたい」と、そのときに強く思いました。

「孤独の解消」に残りの人生を使おうと決めた

── 車椅子の開発は、一生のテーマにはならなかったのでしょうか。

 

吉藤さん:たしかに、当初は「便利でかっこいい車椅子を作って、移動できない人の社会参加に貢献しよう」と思っていました。でも、世の中には車椅子があっても移動できない人がたくさんいます。そもそも車椅子に乗れない人もいるし、乗れたとしても、街はバリアフリーには程遠い。それに、いわゆる「移動困難者」は、病気や障がいがある人だけではありません。車の運転ができない高齢者や、小さい子どもがいる人もそうです。

 

いっぽうで、世の中は基本的に「自分の体を運んでくること」を前提にデザインされています。だから、移動できない人はどうしても孤独になりがちです。私も、学校へ行けなかった時期はすごく孤独でした。だったら、体を運ぶ車椅子ではなく、「心を運ぶ車椅子」を作ろう、と思ったのです。「自分の技術で孤独を解消することに、残りの人生を使おう」と、心が決まりました。

 

── 「心を運ぶ車椅子」とは、具体的にはどういうことですか。

 

吉藤さん:自分の体を運ぶことができない人が、本当にそこに行っている感覚を味わえるテクノロジーです。それには、その人の「分身」を作ればいい。ロボットとインターネットを使えば、それができると思いました。私が作りたかったのは、その人の代わりに行きたい場所へ行く「分身ロボット」です。

 

本格的に分身ロボットを作り始めたのは、大学3年のときでした。「オリィ研究室」(のちの「オリィ研究所」)というラボをひとりで立ち上げ、まずは市販のロボットを分解して、作り替えることから始めました。わからないことはネットで調べたり、SNSで知り合った人に指導を受けたりして、手探りで完成させたのが、分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」です。

 

OriHimeにはカメラ、マイク、スピーカーが搭載されていて、パソコンやスマートフォンで遠隔操作ができます。折り紙の「オリィ」と「織姫」を組み合わせて名付けました。「離れている会いたい人に会えるように」というコンセプトを込めています。

 

── もし学校にOriHimeがあれば、自宅にいながら、遠隔操作で授業に参加することもできるのですね。

 

吉藤さん:はい。OriHimeとして授業を受けて、友達と会話もできます。体を動かせない生徒が、OriHimeとして遠足に参加したケースもあります。 

 

OriHimeを活用して、仕事をすることもできます。2021年にオープンした「分身ロボットカフェ」では、移動や身体労働ができる「OriHime-D」という分身ロボットが、接客をしたり配膳をしたりしています。ロボットを遠隔操作しているのは、「パイロット」と呼ばれるスタッフで、病気や障がいなどで家から出られない人たちがほとんどです。パイロットは自分の意思でOriHimeを動かし、自分の言葉でお客様とコミュニケーションをするので、「その場にいる」感覚を持つことができます。お客さまも、ロボットではなくて「Aさんに会えた」と言ってくださいます。

 

これからも、体を運べない人がもっといろいろな場所へ行き、やりたいことができるように、OriHimeを進化させていきたいと思っています。

 

取材・文:林優子 写真:オリィ研究所