「私はそれまで『なぜ生きるのか』という理由を探し続けていました」。小学校6年生から不登校になり、孤独に苛まれていた吉藤オリィさん。しかし、あるロボットとの出合いから人生が大きく動き出しました。自身の経験から「孤独の解消」を掲げ、ロボット開発に挑む、その原点とは。

不登校児を変えたのは母が応募したロボコンだった

吉藤オリィ
不登校で、毎日自宅で折り紙やゲームをしていたころの吉藤オリィさん

── 遠隔操作を通じて社会参加やコミュニケーションを可能にする分身ロボット「OriHime」の開発者である吉藤さんは、子どものころに不登校だったそうですね。当時、学校へ行けなくなったきっかけは何だったのでしょうか。

 

吉藤さん:大きなきっかけがあったわけではありません。小さいころから体が弱く、集団行動はもちろん、勉強も苦手。だから学校はあまり好きではありませんでした。小学校のときは席に座っているのが苦痛で、教室からしょっちゅう逃げ出していました。折り紙や工作が好きで、教室にいるときは段ボールや紙工作ばかりしていましたね。自作のゲームをクラスメイトが遊んでくれるのが嬉しかったです。

 

小学5年生のとき、大好きだった祖父が亡くなったショックと体調不良が原因で学校を休みがちになって。高学年になると、友達とも話が合わなくなって、学校にもだんだんと行けなくなりました。両親は無理やりにでも学校へ行かせようとしたのですが、それもつらくて、朝になると腹痛で起きられなくなってしまったのです。

 

6年生になると、担任の先生が学校の資料室に私の「専用ルーム」を作ってくださって。ひとりで工作をして、お弁当もそこで食べられたので、しばらくは登校できました。でも「児童ひとりだけ特別扱いはできない」と学校で問題になり、専用ルームは2か月ほどで閉鎖されてしまいました。

 

── それで、また学校へ行けなくなってしまったのですね。

 

吉藤さん:はい。中学校に入っても休みがちで、なんとか登校できても、体調を崩して保健室で過ごすことが多かったです。父親が同じ中学校の教師だったので、保健室で寝ていると父親が来て、「教室へ行け」と言いにくる。父は熱血タイプの教師で、同じ中学校にスポーツ万能の妹もいました。家族と比較されることで余計につらくなり、ますます学校へ行けなくなりました。

 

家に引きこもって、誰とも話さない日が続くと、たまに人と会っても何を話せばいいのかわからなくて、会話が成り立たないのです。それで、人前に出るのがさらに怖くなりました。今思うと、孤独の悪循環に陥っていましたね。

 

── ご両親も心配されたのではないですか。

 

吉藤さん:そうだと思います。家で折り紙をするか、ゲームをするか、ただ横になって天井を見ているかという生活だったので。母親は、フリースクールを探したり、あちこち相談に行ったりしてくれました。父親は、ときどき気分転換にと、キャンプへ連れて行ってくれることも。

 

そんなある日、母親が突然「ロボットコンテストに申し込んでおいた」と言ってきたのです。「折り紙ができるなら、ロボットも作れる」と言ってきて。折り紙とロボットはまったく違うので「何を言っているのだろう」と思いましたが、私は小さいころからテレビでロボットコンテストの番組を見るのが好きだったのと、会場が子どものころに何度も通っていた科学館だったこともあって、参加してみることにしました。

 

このとき出場したのは「虫型ロボット競技」。市販の虫型ロボットがあるのですが、それを組み立ててプログラミングをし、走らせてタイムを競うコンテストです。簡単なプログラミングでしたが、パソコンを触るのが楽しくて。何度も練習用のコースを走らせて準備をして臨みました。ほかの参加者は、ロボットの足の形状を変えることにこだわっていましたが、私は足の形状は変えず、プログラムの変更だけで勝負をしました。2回のタイムで勝敗が決まるのですが、2回とも完走させられたのは私だけ。その結果、優勝することができました。中学1年のときです。

目標ができると、人って変わるものだと

── ロボットコンテストで優勝したことで、生活は変わりましたか。

 

吉藤さん:いえ、すぐには変わらなかったです。相変わらず、学校へは行けない状態が続いていました。ロボットコンテストにもその後、何度か出場したのですが、結果はふるいませんでした。

 

でもあるとき、コンテストの会場に一輪車を漕ぐロボットが展示されていたのです。「すごいな」と思わず見入っていたら、開発者が地元の工業高校の先生で。「この先生に弟子入りすれば、もっとすごいロボットを作れるかもしれない」と、この工業高校を志望するようになりました。

 

目標ができると人って変わるもので、それまで苦手だった勉強も頑張れるように。勉強でわからない点を質問したいときだけでしたが、学校へも行けるようになりました。結果、念願の工業高校に見事合格できたのです。

 

── 中学校までは不登校が続いていましたが、憧れの高校に入学後は周囲にすぐ馴染めましたか。

 

吉藤さん:人づき合いが苦手なのは相変わらずでした。でも、ポケコンという教材用のパソコンでプログラミングをして、オリジナルのゲームを作ったことをきっかけに、友達ができました。みんなが私の作ったゲームで遊んでくれて、攻略法を聞きにきたり、バグの報告を持ってきてくれたりしたのです。

 

さらには、その高校を目指すきっかけになった先生に、本格的にプログラミングの勉強をすることを勧められました。それまで自分はずっと勉強が苦手だと思っていたのですが、興味を持ったことなら夢中になって勉強できるのだと、このとき気が付きました。