「次の子にも何かあったら離婚しよう」と

── その後、聖矢さんの出産から4年後に第二子・長女の蘭愛(れな)さんを妊娠されます。
紺野さん:出生前診断について病院に相談しましたが、長男の病名がわからないままだったので、検査をしてもわからないだろうと言われました。でも、せっかく授かった命なので、病気でも病気じゃなくても育てる以外の選択肢はなかったので結局、検査はしませんでした。
いっぽうで、「次の子も同じ病気だったら…」と常に不安だったのもたしかです。産むのは私。次の子どもにも何かあったら、夫や親にまた迷惑を掛けてしまう。「もし、次の子が病気だったら離婚しよう。夫をこの生活に巻き込んじゃいけない」と思っていました。
── 産むのは女性ですが、障がいの有無は誰のせいでもないですし、夫も家族の一員なのでは?
紺野さん:今思えばそうなんですけど、当時は自分がすべて犠牲になればいいって、被害妄想のような気持ちもあったと思います。
── その後、第二子の長女・蘭愛(れな)さん、第三子の次男・愛聖(まなと)さんが生まれましたが、2人とも重症児でした。
紺野さん:蘭愛は長男のときと同様、出産当日にNICUに運ばれて、長男と同じ病気だろうと言われました。愛聖は生まれてすぐは異常が見つからなかったものの、1か月くらい経って長男、長女と同じような症状が出てきて。愛聖はしばらく元気な期間もあっただけに、「愛聖だけは大丈夫かもしれない」と期待していたんですけど。
3人とも寝たきりでした。食事は胃ろうからの注入で、喉頭気管分離(喉頭と気管を離断し、口・鼻からの唾液や食物が肺へ入るのを物理的に防ぐ手術)をしているので声が出ませんが、喜怒哀楽の表現はとてもわかりやすく見せてくれていました。
── 旦那さんは3人の子どもに障害があるとわかってどんな反応でしたか?
紺野さん:生まれた直後は夫婦で毎晩泣いていましたが、だからと言ってずっと引きずっていたわけではなかったです。NICUにいるわが子を見ては「NICUのなかでもうちの子がいちばんかわいい!」と言って毎日病院に通っていたし、在宅になってもお風呂に入れてくれて、医療的ケアの手技もしっかり覚え、よくお世話をしてくれたと思います。
ただ、「周りには隠したいのかな」と思う場面は何度かありました。旅行や遠出など、普段の生活から離れた場所ならよかったんですけど、近所のスーパーなど、身近な場所になると、自分の子どもが病気だと知られるのは嫌だったのかもしれません。
私は3人出産してからブログをはじめましたが、そのこともあまりいい顔をしていなかったと思います。でも子どもはとてもかわいがっていたので、彼なりにいろいろ葛藤はあったんだと思います。