「モデルを目指せば」は嫌味にしか感じない
── 周囲の大人たちは、助け舟を出してはくれなかったのですか。
大林さん:もちろん助けようとしてくれました。ただ当時の私には、誰の言葉も1ミリも響かなかったんです。「長身を活かしてモデルを目指せばいい」というアドバイスも嫌味やお世辞にしか聞こえず、心が拒絶しました。自分が納得して受け入れない限り、決して救われません。どれだけ言葉を重ねてもらっても、私のコンプレックスが解消されることはありませんでした。
── その状況を変えたのが、バレーボールだったのですね。
大林さん:テレビアニメの『アタックNo.1』を見て「これだ!」と直感しました。最大のコンプレックスがバレーボールなら武器になる。オリンピック選手になって、私をいじめていた全員を見返してやりたい。前向きな動機ではなく、言葉は汚いがあえて言わせてください、「ざまあみろ」という復讐心です。生きるための「手段」としてバレーを始め、いじめられる日々に二度と戻りたくない一心で29歳の引退まで続けました。
── 当時、競技を「楽しむ」という感覚はあったのでしょうか。
大林さん:「楽しいかどうか」なんて考えもしませんでした。勝つことがすべてで、オリンピックのためにすべての時間を捧げていました。今では考えられないことですが、命がけで日の丸を背負うのは当然と思っていました(笑)。プレッシャーはあったでしょうが「注目されるのはいいこと」と、自分のなかで変換していました。いじめのトラウマから身を守るために、ある種の感情を麻痺させていたのかもしれません。ただ、強制されていたわけではなく、規則正しいスケジュールで実力をつけ、世界と戦うことが当時の私にとっては当たり前の日常でした。
──「復讐心から始まった」バレーボール。自分を認められるようになったのは、いつ頃でしたか。
大林さん:高校3年生で日本代表に入り、オリンピックへの出場が決まったとき、ようやく「復讐が達成できた」(笑)と思えました。それまで後ろ指を差されていたのが、応援の声に変わり、隠れるように丸めていた背筋を伸ばせるようになったんです。「私を見ないで…」から「私を見て!」に変わった瞬間で、日の丸を背負ったときに初めて「私は大林素子です!」と、自信をもてるようになりました。

── 最終的に、いじめによって失われた自信を取り戻すことはできたのでしょうか。
大林さん:できませんでした。バレーでどれだけ成功しても、人として、女性として根本的な自信にはつながらなかったんです。「大きい」ことで否定され続けてきた過去を背負っている以上、どこへ行っても「自分が一番下」だという感覚がどうしても拭えないんです。世間からどれだけ評価していただいても、心の奥底にある自信のなさは、きっと一生付きまとうものなのだと思います。