バレーボール選手時代にはなかった「ホーム」を見つけて
── 実際、どのようにして会津での生活費を稼いで、二拠点生活を成り立たせているのですか。
大林さん:福島のメディアや自治体、企業に足を運んで「(仕事があれば)ぜひやらせてください」と、営業して回りました。地道な活動から仕事の幅が少しずつ広がり、会津大学でバレーボールの非常勤講師を務めさせていただいたり、会津伝統のまつり「会津まつり」の藩公行列では、司会を務めさせていただくようにもなりました。ただ、観光大使の役割を含め、ボランティアの活動が多いのが実情です。
収入源のベースは圧倒的に東京です。会津での生活を成り立たせるために、大げさに言えば「東京へ出稼ぎに行っている」というのが、今のリアルな感覚ですね。
── 自ら営業に回り、東京へは「出稼ぎ」に行く。そこまでして大林さんを惹きつけてやまない会津の魅力とはなんでしょう。
大林さん:なんといっても、人と人との距離の近さと温かさですね。東京だと、みんな目的地に向かって黙々と早歩きしていて、すれ違う人と挨拶を交わすこともほとんどないですよね。でも、会津では、行き交う方が声をかけてくださったりして、気づいたら立ち止まっておしゃべりしているのが日常なんです。
会津若松はもともと歴史と観光の街なので、外から来る人を受け入れる土壌があります。福島は広く、地域によって文化も違いますが、どこへ行っても「福島のためにありがとう」と声をかけていただける。私のほうこそ好きで住ませていただいているのに、福島のことを発信していることに感謝を伝えてくださる。その温かさに触れるなかで、私自身、ここで初めて「ふるさと」というものを味わえた気がしているんです。
バレーボール選手時代は各地に遠征する日々だったので、自分の部屋で眠れるのは年間のわずか3分の1ほど。自宅が「ホーム」だと思える感覚がなかったんです。だから、福島で「おかえり」と言ってもらえる、そのひと言がこんなにも心休まるものなんだと、しみじみ感じました。