かつてパソコンが苦手で原稿の締め切りも守れない「社会人失格のライター」だったと自嘲する石神秀幸さん。そんな彼が、今や全国に60店舗を展開する麻辣湯チェーンのトップとして成功を収める。セカンドキャリアで飛躍を遂げた背景には、自らの苦手を認め、得意な「味の追求」だけに全精力を傾けた潔い決断、そして、外食界のレジェンドも動かした圧倒的な熱量があった。自身の強みと弱みを正確に把握し、プロの力を最大限に借りて目標を達成する、新しい時代のキャリア構築術を明かす。
「土下座して謝りたいくらい」 ライター時代の欠陥
── 日本で麻辣湯人気に火をつけた「七宝麻辣湯」創業の石神秀幸さんは、以前はフードライターでした。実業家への転身を意外に感じる人もいるはずです。何があったのでしょうか?
石神さん:ライター業に向いていなかったんです。フードライターの世界には自分から見切りをつけました。お店を取材するのは楽しくても、パソコンが苦手で。何より原稿の締め切りを守れなかったのは致命的。社会人として失格でした。周りの人たちに迷惑ばかりかけて、当時、担当いただいた編集者さんには土下座して謝りたいくらいです。
── ひとつの仕事に見切りをつけたとしても、セカンドキャリアの形成は容易ではありません。
石神さん:私の場合、食べ歩きの趣味が道を切り開いてくれました。きっかけは小学生の頃に読んだ漫画『美味しんぼ』です。和食、洋食、中華…さまざまな料理を口にし、家に帰ってからその味を再現するなかで、自分の舌になぜだか絶対の自信が生まれました。

そして2003年、食べ歩き旅で向かったシンガポールで麻辣湯に出合ったんです。衝撃の料理で「これを日本に持ち込みたい。みんなに食べてもらいたい!」と直感しました。
── 石神さんの代名詞「神の舌」が反応したわけですね。
石神さん:外食店経営の経験がないままに会社を立ち上げ、東京・渋谷に「七宝麻辣湯」の1号店をオープン。運営は現場に任せ、私はあくまで店舗の責任者として、レシピ作りに専念しました。料理人として現場に入るオーナーもいますけど、私はしません。料理を作るのは好きでも段取りが悪く、お店を切り盛りするのは不向きだと考えたからです。