お天気カメラの映像をみて、必死に避難を呼びかけた
「情報がないので、お天気カメラの映像をみて、起きていることを必死に伝え続けました。車を置いて走って逃げる人、信号が壊れて混乱している国道の様子…。沿岸部の映像に津波の第1波が押し寄せてくるのが見え、避難を必死に呼びかけました。津波って、一般に想像されるような高波が急に来るのではなく、じわじわと水が陸地に溢れてくるような感じなんです。まだ身の危険を感じていないのか、映像の中にはゆっくり歩いている人の姿も見えました。私たちの声は届いていたのか…いまだに心残りがあります」
カメラが捕らえたのは、津波が原発を襲った瞬間でした。
「福島第一原発の映像を見たとき、建屋のすぐ下の崖から海の底が剥き出しになっている様子が見えたんです。あとからこれは津波が押し寄せる前の強い引き潮だったとわかったのですが、これはおかしいと思っているうちに津波が原発を超えていく様子が見えました。本当に津波が押し寄せてしまった、という絶望感で言葉になりませんでした」
1日1本の水、落とせないメイクと「不謹慎」というお叱り
徹夜でニュースを読み続けた関口さん。そこから数日間の記憶は断片的だそうです。電源を失った福島第一原子力発電所は冷却システムが停止。1号機、3号機、4号機が次々と水素爆発を引き起こして放射性物質が放出。刻々と広がる避難指示…。ようやく埼玉の実家に電話をかけたのは、地震発生から4日後のことでした。
「『福島から伝える人がいなくなってはいけない。私はここに残りたい』と伝えました。でも、両親はものすごく心配していて。なるべく不安がらせないよう、今のインフラの復旧状況などを淡々と説明すると、両親は『何かあったら迎えにいくからね』と言ってくれて。実は私も先々が不安で心が弱くなっていたのですが、この言葉で腹がくくれたというか、気持ちを持ち直せたように思います」
余震や断水が続くなか、報道フロアに段ボールを敷き、ダウンジャケットを毛布がわりにして仮眠をとる。震災の影響でガラスが割れたスタジオで毎日、放送を続ける日々が続きます。
「会社の備蓄品から配布される水は1日1本。トイレは会社の方が川で汲んできた水を使って流していました。
メイクは、3月11日に友達に会いに行こうと思っていた日のまま。落としたくても顔が洗えないんです。『こんなときにメイクが濃いなんて不謹慎』という苦情も届きました。お風呂も入っていないので、なるべく匂いがしないよう服のファスナーをいちばん上までしめて。震災前にしていたジェルネイルはハサミで切りました。何かに感染して腫れた目はメガネで隠し、痛みに耐えながらカメラの前に立ち続けました」
